• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」

 中央競馬での通算成績は167戦8勝。地方競馬では961戦107勝。代表産駒は兵庫ダービーを勝ったバンバンバンク 。アグネスゴールドが種牡馬として成功したとはお世辞にも言えない。いや、サンデーサイレンス系種牡馬ということを考慮すれば、目も当てられない大失敗だった。


 アグネスゴールドは、2004年から2006年までレックス・スタッド過ごした後、2007年にアメリカのラムホルム・サウス牧場に移動した。しかし、日本でダメだった種牡馬が、競馬の本場アメリカでいったいどうやって成功をおさめられるというのか? アグネスゴールドはこのままお役御免となり、競馬界から退場するのを待つばかりだった。彼はゴールドという輝かしい名前を持った日陰馬。


 そんな日陰馬の前に、1人の救世主が現れた。ステファン・フリボルグ氏(Stefan Friborg)である。ブラジルを拠点とするスウェーデン人馬主であり、2010年のドバイWCを優勝したグローリアヂカンペアン(Glória de Campeão)を所有したことで有名である。フリボルグ氏はアグネスゴールドを購入し、自身が経営するエストレーラ・エネルジーア牧場の種牡馬として迎え入れた。


 なぜフリボルグ氏がアグネスゴールドを買ったのか、その理由は分からない。馬体に惹かれたわけではないそうだ。当時は見栄えのしない馬だったらしい。サンデーサイレンス×ノーザンテースト、ファピアノと同じ16-aという良血が評価された、というのは一理ある。だが、良血馬というだけで、すでに失格の烙印を押された種牡馬を購入できるだろうか。とにかくサンデーサイレンスの血を入れたかったのかもしれない。当時はディープインパクトのおかげでサンデー人気の絶頂期だった。もしくは、ヘイローの血が欲しかったのかもしれない。サザンヘイローの大成功により、ヘイローは南米生産界で特別市民権を獲得した。いずれにせよ、フリボルグ氏はすでに亡くなっているので、購入の根拠を明かしてもらうことはできない。


 多くの人が、ブラジルに行ったことがアグネスゴールドの転機だったと考えるだろう。しかし、それは正解の半分でしかない。


 ここで南米の馬産について解説する。日本の場合、種牡馬リストの中から1頭選んで自分の牧場の繁殖牝馬と種付けする、というのが一般的な流れだろう。しかし南米では、自分の牧場で繋養されている種牡馬と、自分の牧場で繋養されている牝馬をかけ合わせるのが一般的である。たとえば、アルゼンチンのエル・パライソ牧場で供用されているイルカンピオーネは、エル・パライソ牧場の牝馬と種付けする。したがって、ほとんどのイルカンピオーネ産駒がエル・パライソ牧場の生産馬ということになる。


 種牡馬の成功には、種牡馬自身の才能に加えて、良い繁殖牝馬をあてがわれるか、ということも鍵になってくる。現役時代に優れた成績を残した馬、繁殖馬としてすでに結果を残している馬、泣く子も黙る良血馬、こういった繁殖牝馬は有力な牧場に集まる。また、牧場の規模が大きく、繋養されている繁殖牝馬の数が多ければ、数打ちゃ当たる戦法も使える。アグネスゴールドはブラジルに渡り、有力馬主が経営する有力牧場の種牡馬になれたことが転機だったのである。仮に、ブラジルでも片田舎の小規模な牧場に送られていたら、アグネスゴールドは日陰馬のまま錆びていた。


 アグネスゴールドは初年度産駒からGⅠ馬を輩出するなど、ブラジルで種牡馬としての才能を開花させた。そのまま順調に種牡馬生活を送るかと思われた。しかし、2015年にフリボルグ氏が亡くなると、エストレーラ・エネルジーア牧場の解散が決まった。アグネスゴールドは再び行き場を失ってしまった。このときすでに17歳。種牡馬として終わりが近づいていた。


 しかし、産まれ故郷で不遇を味わったアグネスゴールドを、競馬の神様は見捨てなかった。


 アグネスゴールドは、ヒオ・ドイス・イルマノス牧場(以下:RDI)を中心とした生産者連合に購入され、RDIをはじめとする有力牧場で種牡馬として供用されることになった。この移籍が、アグネスゴールドがブラジルで成功できた2つ目の要因である。


 RDIといえば、ブラジルで1,2を争う名門牧場である。エストレーラ・エネルジーア牧場以上に良質な牝馬が多数そろっている。いわば、アグネスゴールドは甲子園常連校にエースとして転入を許されたのである。2019年にGⅠ2勝、2020年に6勝、2021年は4月12日の時点ですでに6勝と、老いては益々壮んなるべしの勢いでGⅠ馬を輩出しているのは、明らかにRDIに購入された影響が大きい。ここ数年の産駒を見ると、母がGⅠで好走歴のある産駒、もしくは、半姉・半兄に重賞馬を持つ産駒が目立つ。


 アグネスゴールドはなぜブラジルで成功できたのか?

① 元から種牡馬としての素質があった。

② ステファン・フリボルグ氏に見出された(良い繁殖牝馬)。

③ RDIに評価されて移籍した(さらに良い繁殖牝馬)。


 つまり、アグネスゴールドは人に恵まれた。


 これはアグネスゴールドがなぜ日本で失敗したのか? という問いの答えにもなる。アグネスゴールドは人に恵まれなかったのだ。彼の才能を見抜き、彼と心中してくれる生産者に出会えなかった。


 だからといって、日本の生産者に過失は微塵もない。種牡馬の席には数の限りがある。生産者は選択を強いられる。どれかを選び、どれかを捨てなければならない。たしかに、アグネスゴールドは捨てられた。だが、あの世代はあまりにも偉大だった。アグネスタキオンがいて、クロフネがいて、ジャングルポケットもマンハッタンカフェもいた。いずれも種牡馬として成功をおさめた。日本の生産者は至極正しい選択をした。


 ここからは、後味悪く毒を吐かせてもらいたい。


 生産者は取捨を迫られる。しかし、メディアがそうした取捨を迫られることはない。日本でアグネスゴールドは人に恵まれなかった。とりわけ、メディアには恵まれなかった。海外競馬を自称するメディアまでもがアグネスゴールドを見捨てた。


 多くの競馬ファンが、アグネスゴールドがブラジルにいることを知らない。なぜか? メディアが無関心だからである。日本を離れた馬(騎手や調教師も!)は、メディアの興味対象にはならない。たまに報じられたとしても、ツイッターの140字がせいぜい。これはアグネスゴールドだけでなく、これからメールドグラースやヴィクトワールピサも味わうことになる仕打ちだろう。


 このごろ、筆者はアグネスゴールドの活躍を見るたびに、古代ローマの将軍スキピオ・アフリカヌスが墓石に刻ませたという一文が頭をよぎる。


「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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