
木下 昂也(Koya Kinoshita)
もう1人の競馬狂フットボーラー:クラウディオ・ピサーロ

写真:perú.com https://peru.com/futbol/peruanos-en-el-extranjero/claudio-pizarro-he-sido-exitoso-caballos-noticia-104954
マンチェスター・ユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソン。FCバルセロナ所属のアントワーヌ・グリーズマン。インテル所属のアルトゥーロ・ビダル。レアル・マドリード所属のアルバロ・オドリオソーラ。競走馬を所有しているサッカー選手は多い。
☛☛☛ アルトゥーロ・ビダルの馬主業については コチラ を参照。
ペルーのクラウディオ・ピサーロもその1人である。ドイツのヴェルダー・ブレーメンとバイエルン・ミュンヘンでストライカーとして活躍し、ブンデスリーガを6度優勝した。2009/10シーズンにはUEFAカップの得点王に輝いた。2012/13シーズンにはチャンピオンズリーグを優勝し、その年のクラブワールドカップも制した。2020年7月に現役を引退。ペルー代表として85試合に出場して20点をあげ、ペルー史上最高のフットボーラーの1人である。海外サッカーが好きな人なら誰もがその名を知っている。
ピサーロがサッカーと同じくらい情熱を注いだのが競馬である。母方の家族、とりわけ祖父が競馬好きで、小さい頃に家族で競馬場に行ったのが競馬を好きになったきっかけだそうだ。幼少期から育まれたピサーロの競馬愛は、他のフットボーラー馬主とは比べ物にならないほど大きい。
彼は『エル・カトルセ(El Catorce)』という名義でペルーで馬主をしている。「エル」は英語の「ザ」、「カトルセ」は数字の「14」を意味する。14はピサーロがバイエルン・ミュンヘンやペルー代表でつけていた背番号である。2000年代初めから現在まで80頭近いサラブレッドを所有した。
もっとも活躍した所有馬は、エルコンピンチェ産駒のアルゼンチン産馬ミュラー(Müller)である。馬名の由来はトーマス・ミュラーではなく、先日亡くなったゲルト・ミュラーのほうだろう。2006年にGⅠポージャ・デ・ポトリージョス、GⅠリカルド・オルティス・デ・セバージョス、GⅠデルビー・ナシオナル(ペルー・ダービー)を優勝し、ペルー3冠を達成した(※4冠目のGⅠアウグスト・B・レギーアは疲労のため回避)。2007年にサウジアラビアに売却されると、アルサケール(Alsaqeer)と馬名を変えて、2009年のGⅠサウジアラビア国王杯を優勝した。
ピサーロは、チームメイトだったティム・ボロウスキやトーマス・ミュラーと共同でドイツでも馬主をしている。また、ピサーロと同じくドイツでプレーし、ペルー代表の通算得点記録を持つパオロ・ゲレーロもペルーで馬主をしており、ピサーロの所属するブレーメンとゲレーロの所属するハンブルガーSVが戦った際には、負けた方が相手に馬を1頭贈るという賭けをし、試合に勝ったピサーロはゲレーロが所有していた1頭を譲ってもらったことがある。
クラウディオ・ピサーロは同じくエル・カトルセの名で生産牧場も運営している。エル・カトルセ牧場はこれまで400頭近いサラブレッドを生産した。2009年のGⅠポージャ・デ・ポトランカスを勝ったリアーナ(Rihanna)、2010年のGⅠポージャ・デ・ポトランカスを勝ったアルムデーナ(Almudena)、2012年のGⅠパンプローナを勝ったアスセーナ(Azucena)、2013年のGⅠデルビー・ナシオナルを勝ったカミリンカミロン(Camilín Camilón)、2015年のGⅠジョッキークルブ・デル・ペルーを勝ったエルプショッセ(Elbchaussee)と、5頭のGⅠ馬を生産した。ピサーロは馬主としても生産者としてもダービーを優勝した世界で唯一のサッカー選手かもしれない。
■ ピサーロの生産馬カミリンカミロンが優勝した2013年デルビー・ナシオナル。
また、エル・カトルセが所有していたチームガイスト(Teamgeist、馬名の由来は2006年ドイツW杯の公式球の名前)が、アメリカに渡ってハウスルールズ(House Rules)を産んだ。この馬はGⅢランパートSとGⅢトップ・フライトHを優勝し、ピサーロはアメリカ競馬の重賞馬も生産した。
エル・カトルセ牧場生産の牝馬アルムデーナについてもう少し触れたい。アルムデーナは2012年のBCマラソンに出走し、そのままアメリカで繁殖牝馬となった。2014年にモアザンレディーとの間に産まれたモアザンワーズ(More Than Words)は、ペルーで競走馬となり重賞を4勝した。2015年にスマートストライクとの間に産まれたカスカヌエセス(Cascanueces)は、2017年にGⅠポージャ・デ・ポトランカスとGⅠエンリケ・アジューロ・パルドのペルー牝馬2冠を達成した。
2018年、アルムデーナは日本の島川隆哉氏に購入されて来日し、翌年キャンディライドとの間に日本初仔となるトーセンエルドラドをエスティファームで産んだ。今年は父ヴァンキッシュランの牡馬が誕生している。クラウディオ・ピサーロの生産した馬が日本にいるとは、サッカー好きとして感慨深い。
サッカー選手&馬主&生産者ということもあり、エル・カトルセの馬にはサッカー関連の名前が多い。前述のチームガイストに加え、アリアンツアレーナ、ウェンブリー、エッシェン、オーウェン、クライフ、グランデクン、ドログバ、マラドーナ、メッシ、ラベッシ、レヴァンドフスキなどである。ピサーロが言うには、ペルーの馬にはドイツ語名をつけて、ヨーロッパで所有している馬にはペルーの言葉、可能ならばケチュア語の馬名をつけることを心がけているそうだ。
「なぜエル・カトルセ牧場を開業して生産者になったのかと訊かれたら、競馬がめちゃくちゃ好きだからと答える。サッカー選手を引退したら、競馬の世界に入ってみたかった。そのためには生産者になるのが最良の手段だと考えた。わたしはサラブレッドの生産者として成功していると思う。ペルー競馬のレベルを上げたい。ペルー産馬がアルゼンチン産馬やチリ産馬、ブラジル産馬のように認められる存在になってほしい」
最近ではアルトゥーロ・ビダルが『イル・カンピーネ(Il Campione)』という生産牧場をチリで創設した。生産業にまで携わっているサッカー選手馬主は滅多にいない。お遊びではなく、本気で競馬が好きでなければやれないだろう。
クラウディオ・ピサーロの Twitter や Instagram にはたびたび馬の写真や動画があげられている。これまで訪れた都市でもっとも好きなのはロンドンだそうだ。その理由はフットボールと競馬が盛んな完璧な都市だからと答えている。彼の競馬への情熱は本物である。
■ 生産馬カミリンカミロンがペルー・ダービーを優勝して喜ぶピサーロ。
■ 2016年のロイヤルアスコット開催を訪れたピサーロ。以前インタビューで「アスコットの雰囲気は特別だ」と述べた。
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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