• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

アルゼンチンの名伯楽、ウルグアイに拠点変更へ

拠点変更


 ロベルト・ペジェガッタ調教師(Roberto Pellegatta)は、アルゼンチンで1800勝以上をあげ、GⅠ競走を68勝もした、アルゼンチンの名伯楽である。現在ペジェガッタ調教師の管理馬には、競馬の南米選手権である『GⅠラティーノアメリカーノ』を制し、南米最強馬の呼び声も高いテターセ(Tetaze)がいる。


 12日、ペジェガッタ調教師は、アルゼンチン3冠競走第1戦のポージャ・デ・ポトリージョスが行なわれる10月3日のパレルモ競馬場開催後に、一時的に拠点をアルゼンチンからウルグアイに移すことを発表した。すでにウルグアイのマローニャス競馬場に24馬房を構えている。


 ペジェガッタ調教師は移動に際し、管理馬のうちもっとも優れた16頭を連れていく。その中には、テターセも含まれている。アルゼンチンは自国のもっとも優れた競走馬を失うことになった。テターセは来年1月にマローニャス競馬場で行なわれるジャパンCのウルグアイ版『GⅠホセ・ペドロ・ラミーレス』への出走を目標に調整される。結果次第では、3月にドバイ遠征を考えているとのことである。


 拠点変更を決めた主な理由として、ペジェガッタ調教師はコロナ禍で混乱したアルゼンチン競馬の現状を挙げている。


「アルゼンチン競馬の賞金は低い。現在はパレルモ競馬場しか開催しておらず、特別競走もほとんどない。サン・イシドロ競馬場の再開はいまだに不透明である。微々たる賞金のために、実力のある馬を走らせるのはもったいない。ドバイやアメリカで開業する道もあったが、それは拒否した。なぜなら、私はアルゼンチンという国を愛しているから。しかし、こんな運営体制では、これ以上続けられない。我々調教師というのは多くの雇用を抱える経営者でもあり、雇用を守るのが難しくなっている。1着賞金90.000ペソ(約12万円)のためにレースをするのはあまりにも厳しい。現状が変わらなければ、私は悲観的に見ているのだが、給料を払えなくなる。レースを2勝しても、手元に残るのは18.000ペソ(約2万5千円)。しかも、レースの数は限られているのだから、調教師全員がその額にありつけるわけではない。これでいったいどうやって調教師を続けられるというのか?」


 なお、拠点はウルグアイに移すが、アルゼンチンに残る馬もいるので、アルゼンチンでの調教師業も続ける。ペジェガッタ調教師の息子と、親交のあるフアン・サルディビア調教師が管理馬を引き継ぎ、自身も時折アルゼンチンに戻って様子を見るという。


「今回のことに関して、誰にも責任はない。しかし、これが我々の直面している現実である。事態は極めて悪化している。この決断をするのは心苦しかった。アルゼンチンには家族や友人がいる。しかし、競馬は私の情熱であり、競馬の仕事を辞めることはできない。状況が変わればアルゼンチンに戻ってくる。とにかく、今はウルグアイで落ち着きたい。ウルグアイはブエノスアイレスよりも感染リスクが低い。冒険をするには歳をとったが、これは挑戦である」


 ペジェガッタ調教師の拠点変更を日本で喩えるなら、矢作調教師が日本競馬の運営体制に嫌気が差し、コントレイルを連れて香港かオーストラリアで新たに厩舎を開業する、ということになる。トップの調教師と競走馬が国外に流出するという、アルゼンチン競馬にとって一大事件である。


南米の優等生ウルグアイ


 ロベルト・ペジェガッタ調教師はなぜウルグアイを選んだのか? 隣国である、言葉が通じるということに加えて、ここで少しアルゼンチン競馬とウルグアイ競馬の運営体制の差について触れたい。


 アルゼンチンは新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月よりパレルモ競馬場、サン・イシドロ競馬場、ラ・プラタ競馬場の主要三場の開催中止を決定した。パレルモ競馬場は8月28日に再開したが、サン・イシドロ競馬場とラ・プラタ競馬場の再開の目途はいまだに立っていない。


 また、パレルモ競馬場は再開したものの、レース賞金が大幅に減額された。たとえば、9月11日に行なわれた未勝利戦の賞金は、1着90.000ペソ(約12万円)、2着31.500ペソ(約4万5千円)、3着18.000ペソ(約2万5千円)、4着9.000ペソ(1万3千円)、5着4.500ペソ(6千円)である。昨年同時期の賞金額は、1着150.000ペソ(約21万円)である。


 加えて、コロナウイルスの脅威が日に日に大きくなっている。アルゼンチン国内では1日に1万人以上の感染者が出るだけでなく、死者数も100人を超えている。ブエノスアイレス州だけでも1日6000人近い感染者が出ており、これではサン・イシドロ競馬場とラ・プラタ競馬場の再開は現実的ではない。


✔ アルゼンチン 開催状況:不安定 / 賞金:低 / 感染リスク:高


 一方、ウルグアイは国による感染防止措置が見事に効力を発揮し、感染者は1日に十数人程度と、コロナウイルスを制御していると言ってよい。競馬の再開は5月16日と南米のどの国よりも早く(※中止しなかったブラジルのシダーヂ・ジャルディン競馬場を除いて)、いまだに無観客ではあるが、ほぼ平常運転である。


 レース賞金はというと、たとえば、9月6日の未勝利戦では、1着97.726ペソ(約24万円)、2着34.204ペソ(約8万5千円)、3着21.174ペソ(約5万2千円)、4着9.773ペソ(約2万5千円)、5着3.650ペソ(約9千円)と、アルゼンチンのほぼ倍の金額が用意されている。


✔ ウルグアイ 開催状況:安定 / 賞金:普通 / 感染リスク:極めて低


 アルゼンチンとウルグアイ、どちらで働きたいか? 言わずもがなである。


 経済破綻、環境破壊、治安悪化、クーデター。こうしたネガティブな言葉が付きまとう南米諸国の中で、ウルグアイは非常に安定している。国が安定しているということは、公営競技である競馬も安定しているということである。逆に言えば、アルゼンチンのように借金まみれの国だと、安定した競馬開催はほぼ不可能になる。賞金の未払いで揉めるのは、アルゼンチン競馬のお家芸である。


 ウルグアイ競馬は1993年にパートⅠ国からパートⅡ国に降格したが、競馬運営という面に関しては、おそらく日本と同等の優秀さを誇っていると言っても過言ではない。外国騎手が日本競馬で乗りたがるように、南米の競馬産業にとって、ウルグアイ競馬の安定性は魅力的である。


 まず、ブラジルから優秀な馬と人材がウルグアイ競馬に入ってくるようになった。ブラジル産馬は毎年のようにウルグアイGⅠを勝利するだけでなく、現在ウルグアイのリーディングトレーナーであるアントニオ・シントラ調教師もブラジル人である。


 アルゼンチン競馬とウルグアイ競馬のベクトルは、どちらかと言えば、ウルグアイ ⇒ アルゼンチンだった。イリネオ・レギサーモ、ビルマール・サンギネッティ、パブロ・ファレーロと、アルゼンチン競馬史に名を刻む騎手は、いずれもウルグアイ人である。実力のある人や馬はアルゼンチンへ。これがコロナ禍以前における南米競馬の基本的な流れだった。アルゼンチンは南米競馬界の君主だった。


 しかし、コロナウイルスがアルゼンチン競馬の脆弱性を明らかにするだけでなく、容赦なく中身を蝕んだ。このままアルゼンチン競馬の悲惨な開催状況が続けば、また、ロベルト・ペジェガッタ調教師のような一流調教師がウルグアイへの拠点変更を発表したことによって、アルゼンチン ⇒ ウルグアイの流れが加速するかもしれない。余談だが、世界最多勝利騎手であるジョルジ・ヒカルド騎手も、一時的に拠点をアルゼンチンから母国ブラジルに移している。


 優秀な人馬の流出はアルゼンチン競馬にとってピンチだが、ウルグアイ競馬にとっては優秀な人馬が流入するというチャンスである。もしかしたら、このコロナ禍、そして、ロベルト・ペジェガッタ調教師の拠点変更が、南米競馬の勢力図を変えるターニングポイントになるかもしれない。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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