• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

アルゼンチンの為替事情:青ドル

 日本人旅行者のバイブル『地球の歩き方』。「アルゼンチンの通貨・為替レート」というページには次のような文章がある。


両替は銀行か、カサ・デ・カンビオ(Casa de Cambio)と呼ばれる両替所で行うのが一般的。正規の両替所ならどの店もそれほどレートは変わらない。日本円を扱っている両替所はほとんどなく、仮にあってもレートが極端に悪い。両替所によっては少額紙幣を嫌う店や、最低両替額をUS$50以上に設定しているところもある。ホテルやツアー代金などはUSドルで支払えるところもあるので、バランスを考えて両替するようにしよう。路上では闇両替が行われているが、これは違法行為である。2019年11月現在、闇レートのほうが有利だが、ニセ札をつかまされることもあるので、利用しないほうがよい。

https://www.arukikata.co.jp/country/AR/info/currency.html


 ムムムと首をひねりたくなるのは「闇両替/闇レート」というワードだろう。本記事で紹介するのは、アルゼンチンの実生活に根づいている2種類の為替レートである。アルゼンチンに旅行する人だけでなく、アルゼンチンから馬を買う人も知っておいたほうがいいだろう。


 そもそも為替レートとは何か? 1ドル=100円、1ユーロ=130円、1ポンド=150円。ある通貨がその国の通貨でいくらになるか、というのがレートである。


 アルゼンチンの通貨はペソである。では、2021年4月6日時点のペソのレートはどうなっているかというと、Google検索によると1円=0.83ペソ、1ドル=91.43ペソである。これが正規のレート、つまり、公定レートである。


 しかし、『地球の歩き方』に書かれた闇レートでは、1ドル=140ペソとなっている。公定レートとは50ペソもの差がある。この闇レートのことを並行レート、もしくはスペイン語の Dólar Blue を直訳して青ドルと呼ぶ。青ドルは違法だが、社会において確かな効力を持っている。El Cronista という1908年に創刊したアルゼンチンのビジネス紙にも、青ドルのレートが掲載されている。


 ブラックマーケットや闇金というように、違法な金には黒系の色が用いられる。では、なぜ青ドルなのか?


 諸説ある。英語のブルーにはネガティヴなニュアンスがあるから。ブルーチップというスペイン語の俗語から取ったから。偽札には青色が出るから、などなど。いずれにせよ、青ドルの青は、青空のような鮮やかな青ではなく、顔面蒼白の青や、痣の青をイメージしたほうがいいだろう。


 たとえば、あなたが100ドルを持ってアルゼンチンに旅行するとしよう。現地の両替所でペソに替える、もしくは、飲食店やブティック、土産物屋でクレジットカードで支払うと、1ドル=91ペソの公定レートが適用される。100ドルは9100ペソになり、1ペソを1円とすれば9100円である。しかし、ブエノスアイレスにあるフロリダ通りという闇両替の聖地で、両替の資格を持たないダフ屋みたいな見た目のオヤジから両替すると、1ドル=140ペソの青ドルで交換できる。100ドルは14000ペソになり、公定レートとの差は5000円である。5000円も浮けば豪華なディナーが食べられる。どちらで交換したほうがお得かは小学生だって分かる。


 もちろん、青ドルは違法行為なので、余裕しゃくしゃくで両替しようとすると、偽札を握らされたり、路地裏に連れこまれて金を持ち逃げされたりする危険がなきしにもあらず。被害に遭っても、自己責任として警察も大使館も相手にしてくれない。旅行者は必ず正規の両替所で交換したほうがいい。


 そもそも、青ドルはどのようにして誕生し、なぜ公定レートとこんなにも差が開いたのだろうか? 詳しいことは筆者も分からないが、主なポイントは2つある。


 1つ目は、2011年ごろから始まった厳しい外貨統制である。これにより、海外旅行に必要な外貨を得るのにも、たとえば、アルゼンチンからイタリアへ旅行したいからペソをユーロに替えるという場合にも、事前に政府に申告することが課された。旅行くらいならまだいいが、海外取引を行なう事業者にとってはなんとも面倒だ。したがって、政府を通さない両替のニーズが生まれた。


 2つ目は、アルゼンチンの経済危機によってペソに対する信頼度が絶賛急落中であること。いつ紙クズと化すか分からないペソを持っているよりも、ドルという世界最強の通貨で貯蓄したい。みんながドルを欲しがっている。必然的にドルの価値が上がる。


【ここまでのまとめ】

・ アルゼンチンには公定レートと並行レート(青ドル)という2つのレートがある。

・ ドルからペソに替えるなら、青ドルのほうが断然お得である。



 では、青ドルが競馬にどう関わってくるか?


 馬の取引はその国の通貨で行なわれる。日本のセレクトセールは円で取引される。ドルやユーロの表示もあるものの、オークションを仕切っている人が「500万ドル、ラストコール」とは言わない。フランスのアルカナ社のセールはユーロで、イギリスのタタソールズ社のセールではギニーで取引される。これは南米でも同じである。チリでは落札価格がチリ・ペソで、ブラジルではレアルで表示される。


 しかし、アルゼンチンの取引は基本的にペソではなくドルで行なわれる。ある競走馬のセールサイトの支払い規約には「○月○日の公定レートによるドルで支払うこと」と明記されている。競馬情報サイトに載せられる落札価格もドルである。馬にかぎらず、オークションは公定レートによるドル払いがアルゼンチンの基本らしい。


 日本でドルは使えない。ファミチキを2ドルで買おうとしても、店員に舌打ちされるだけだ。当然、アルゼンチンでもドルで野菜や本を買うことはできない――ホテルや旅行ツアーなどではドルのまま払える場合があるが――。ドルをペソに替える必要がある。通常、外国から受け取った代金を外貨のまま保有することはできない。ゆうちょ銀行にドルで貯蓄できないように、アルゼンチンの銀行にもドルで貯蓄することはできない。公定レートでペソに両替される。


 だが、抜け道は存在する。


 あなたが馬主だとしよう。あなたはアルゼンチンの仲介者を通じて、ある牧場から10万ドルで繁殖牝馬を買ったとする。分かりやすく、公定レートは1ドル=100ペソ、青ドルは1ドル=150ペソとしよう。あなたは仲介者に10万ドルを支払う。仲介者はドルを公定レートでペソに替え、もしくは、口座に振りこまれた段階で自動的に公定レートで換算され、牧場に1000万ペソを支払う。


 とは必ずしもならない。


 仲介者が外国、たとえばアメリカに口座を持っている場合、10万ドルはドルのままで生きる。この10万ドルを両替事業者を通じて青ドルで計算し、1500万ペソに替える。1500万ペソがそのまま牧場に支払われるかもしれないし、1000万ペソを牧場に、残りの500万ペソを自分の手元に、という荒業も可能である。


 レートの乖離を利用してボロ儲けしている仲介人がいるというのは、あくまで筆者が人づてに聞いた噂にすぎない。本当かもしれないし、まるっきりウソかもしれないので、鵜呑みにはしてほしくない。しかし、アルゼンチンのあらゆる産業において、海外口座、青ドル、過少申告などを駆使した抜け道を政府が危惧しているというのは事実である。


 上記の例であなたは10万ドルを払ったわけだが、売値をドルではなく青ドル換算のペソを基準にすれば、1000万ペソ÷150ペソ≒6万7000ドルの支払いで済んだ。その差は3万3000ドル。金なんて腐るほどある馬主にとって、7万ドルも10万ドルも大した差ではないだろう。しかし、もし筆者が馬主なら、無類のケチ野郎なので、青ドルでいくらになるのかということを念頭に、ネチネチと値引き交渉をしてしまう。大丈夫だ、そんなケチは馬主どころか、金持ちにすらなれやしない。


 本記事では分かりやすく説明するため、検疫・輸送・税関・保険といった複雑な手続きを省いた例を出した。青ドルについて詳しく知りたい方、正確な情報を得たい方は、ジェトロのレポートを読むといいだろう。プロの目から詳細に解説されている。また、実際に現地で青ドル両替をした人の体験談が書かれたブログも面白い。


【今回のまとめ】

・ アルゼンチンには公定レートと並行レート(青ドル)という2つのレートがある。

・ ドルからペソに替えるなら、青ドルのほうが断然お得である。

・ 抜け道を駆使すれば、レート幅によって存分に稼ぐことが可能。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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