• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

キャンディライド:片田舎の500m戦から世界的種牡馬へ

写真:LA NACIÓN

https://www.lanacion.com.ar/deportes/turf/candy-ride-caballo-al-rechazaron-remate-fue-nid2241248



アルゼンチンのエリート?


 競馬が好きな人であれば、キャンディライド(Candy Ride)という名前を一度は聞いたことがあるに違いない。キャンディライドはアルゼンチンで産まれた牡馬である。アルゼンチンでは圧倒的な内容で3戦3勝(GⅠ2勝)という成績を残すと、アメリカに移籍してGⅠパシフィック・クラシック・ステークスを優勝した。通算成績は6戦6勝と土つかず。種牡馬となってからもガンランナー(Gun Runner)、ゲームウィナー(Game Winner)、ヴェコマ(Vekoma)といった名馬を輩出し、2021年の種付け料は7万5000ドルにもおよぶ。日本でもキャンディライドの産駒が走っている。


 これだけ読めば、アルゼンチンのエリートが順風満帆にアメリカン・ドリームを掴んだように思える。まるで甲子園のアイドルがドラフト1位で指名され、メジャーリーグでも大活躍したような印象を受けるかもしれない。しかし、キャンディライドはエリートどころか雑草であり、甲子園常連校どころか地方大会万年1回戦負けの弱小校出身なのである。



売れ残りの駄馬


 キャンディライドは1999年9月27日に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるアボレンゴ牧場で産まれた。父ライドザレールズ、母キャンディガール、その父キャンディストライプスという血統。アボレンゴ牧場はアルゼンチンを代表する生産牧場であるが、キャンディライドは将来を嘱望された馬ではなかった。


 2歳時にセリに出された。しかし、父ライドザレールズが活躍馬を輩出していなかったことや、レントゲン写真で見る身体つきの悪さが買い手に嫌われ、3度も売れ残った。最終的に、当時コルドバ州の農牧省長官だったグメルシンド・アロンソ率いる馬主グループに買われた。キャンディライドはコルドバ州の都市リオ・クアルトに送られ、デビューに向けて調教を積むことになった。



幻のデビュー戦


 リオ・クアルトから北東に約60km進んだところにヘネラル・カブレーラという町がある。この田舎町がキャンディライドが競走馬として初めて走った地である。当初、馬主はヘネラル・カブレーラ競馬場ではなく、ブエノスアイレスにあるパレルモ競馬場の1200mでデビューさせる予定だった。いわば、地方競馬ではなく中央競馬でデビューさせるはずだった。しかし、ヘネラル・カブレーラ競馬場のレースに出走させる僚馬の体調が整わず回避となり、代わりにキャンディライドを出走させることにした。


 売却から4ヶ月後の2002年5月1日、キャンディライドはヘネラル・カブレーラ競馬場のダート500mに出走した。公式記録には書かれない、幻のデビュー戦である。鞍上はエクトル・カルベンテ騎手。現在アルゼンチンのトップジョッキーの1人であるグスタボ・カルベンテ騎手の父親である。本当はアルマンド・グラーデス騎手に騎乗依頼を出していたのだが、グラーデス騎手には先約があった。レースはというと、出遅れながら2馬身差で勝利をおさめた。勝ちタイムは27秒だった。


 ヘネラル・カブレーラ・ジョッキークラブで番組構成を担当しているアルベルト・ベルトゥッチ氏は次のように語っている。


「キャンディライドのような偉大な馬が我々の競馬場でデビューしたことを誇りに思う。コルドバ州からは優秀な馬が何頭も誕生しているが、キャンディライドのようになった馬は1頭もいないし、二度と現れないだろう。5月1日にヘネラル・カブレーラで行なわれるレースの1つには、キャンディライドの栄誉を称えて、彼の名前をつけている」



壊れた青写真


 ヘネラル・カブレーラでのデビュー後、キャンディライドはブエノスアイレスへ移動した。目標は6月29日にパレルモ競馬場で行なわれる2歳限定のGⅠエストレージャス・ジュニオール・スプリントだった。しかし、脚の怪我によって断念せざるをえなかった。


 3歳になった2002年8月9日、キャンディライドはパレルモ競馬場のダート1200mに出走した。公式記録として換算されているのはここからである。鞍上はアルマンド・グラーデス騎手。2着に12馬身もの大差をつける圧勝をおさめた。


 レース後、陣営はアルゼンチン3冠競走の1冠目ポージャ・デ・ポトリージョス(亜2000ギニー)に向かうつもりだった。しかし、咳の症状が出て前哨戦を使えず、キャンディライドは再びGⅠ競走から、それも3冠戦線からの離脱を余儀なくされた。



フォルリの再来


 キャンディライドは代案を求めて調教を続けていた。同馬を管理するルネ・アユーブ調教師によると、「デビュー戦を12馬身差で勝ち、ポージャ・デ・ポトリージョスを断念することになってから、別のGⅠに出走させたいと考えていた。ある日、800m45秒という調教を終えて厩舎に引き上げると、ベテランの計測係が私を呼び止めて、『フォルリ(※1966年にアルゼンチン4冠を達成した馬)の再来となれる唯一の馬だ』と告げた」


 キャンディライドの次走は、10月12日にサン・イシドロ競馬場の芝1600mで争われるGⅠサン・イシドロに決まった。初めての芝のレース、しかも古馬との対決である。陣営の作戦は、逃げの手を打つと予想された1番人気のサザンソウル(Southern Soul)をマークすることだった。しかし、ゲートが開くと誰もキャンディライドのスピードについて来れなかった。そのまま先頭をひた走り、2着に8馬身もの差をつける大勝で初GⅠ制覇を飾った。わずか2週間前に満3歳になったばかりのキャリア1戦の馬が、楽々と古馬を撃破したのである。「私はそれほどビッグレースに乗る機会があるわけではないし、相手関係も分からなかったが、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった。私が人生で乗った馬の中で最高の馬である」と、アルマンド・グラーデス騎手は述べた。



マイル王へ


 GⅠサン・イシドロのパフォーマンスを見れば、売却の話が持ち上がらないわけがなかった。交渉のため、キャンディライドは休養を強いられた。結局話はまとまらず、12月14日にサン・イシドロ競馬場で行なわれるマイル王決定戦GⅠホアキン・S・デ・アンチョレーナに出走することになった。


 レース前、アユーブ調教師からグラーデス騎手に与えられた指示はとてもシンプルだった。天気も馬場も絶好のコンディションだからレコードタイムを破れ。キャンディライドは今回もスタートからハナを切ると、そのまま逃げ切って8馬身差の快勝をおさめた。勝ちタイムは1分31秒01。1995年2月25日にリトン(Riton)が出した国内レコード1分31秒00にわずか01届かなかった。グラーデス騎手は直線半ばで勝利を確信し、馬を最後まで追わなかった。鞭を入れていれば、レコードを更新できたかもしれない。ちなみに、現在でも芝1600mのレコードはリトンの1分31秒00、2位はキャンディライドの1分31秒01である。


 レース後、アユーブ調教師は「レコードを破れと言っただろ」とグラーデス騎手を責め、それに対してグラーデス騎手は「あっ、忘れてました」と答えた。しかし、後のインタビューでグラーデス騎手は「鞭を入れればレコードを更新できたが、あれだけの差で鞭を使うのは頭がおかしい。彼は走るマシーンだった。賢い馬だから、私は落ちないように気をつけているだけでよかった」と述べている。


 2つのマイルGⅠの勝利で、キャンディライドは2002年のアルゼンチン最優秀マイラーに選出された。セリで売れ残り、片田舎の500m戦でデビューした石ころが、わずか7ヶ月で7万人の大歓声を浴びてGⅠを優勝するダイヤモンドになったのである。



突然の売却


 キャンディライドは2003年2月1日(土)のGⅠミゲル・A・マルティネス・デ・オスに登録した。ここをステップにドバイ遠征を行なう予定だった。1月28日(火)、アルマンド・グラーデス騎手はキャンディライドの調教に跨った。まさかこれが愛馬への最後の騎乗になるとは思っていなかった。グラーデス騎手は当時をこう振り返る。


「土曜日はキャンディライドが唯一の騎乗馬だった。競馬場に着くと、多くの人からどうしてキャンディライドは出走しないんだと尋ねられた。悲しんでいる人もいた。私は何か問題が起こったのだと思った。その日はジョッキールームにも入らずに帰宅した。理由を調べようとは思わなかった。数日後、キャンディライドは売却されたと知った」


 火曜日から土曜日にかけての数日の間に、アメリカからロナルド・マカナリー調教師がアルゼンチンを訪れていた。彼はクライアントの依頼で、パシフィック・クラシックを勝てる馬を探していた。それがキャンディライドだった。売却交渉はまとまった。アメリカに移籍してから現在までの活躍は、すでに述べたとおりである。



キャンディライドの置き土産


 キャンディライドは種牡馬として多くの馬を産んでいる。しかし、種牡馬になる前にも1つの命を産んだことはまったく知られていない。その秘話をルネ・アユーブ調教師が最近になって明かした。


 アユーブ調教師はキャンディライドを売却して得た資金を使って、体外受精を受けることができたのである。奥様は無事に妊娠し、夫婦は待望の子宝に恵まれた。「キャンディライドのおかげで娘が産まれたんだ」と、アユーブ調教師は人生でもっとも幸せな瞬間の1つを喜んだ。



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【参考】 "Candy Ride: el caballo al que rechazaron varias veces, fue crack invicto y sus hijos mueven millones" https://www.lanacion.com.ar/deportes/turf/candy-ride-caballo-al-rechazaron-remate-fue-nid2241248 最終閲覧日:12月16日


"René Ayub: "Gracias a Candy Ride nació mi hija"" https://elturf.com/noticias-ver?id_articulo=32356 最終閲覧日:12月16日


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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