• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

ストームメイヤー:捕囚された名馬

写真 : "TODO GALOPE"

https://www.todogalope.com/adios-a-storm-mayor/



 アルゼンチンのサン・イシドロ競馬場で行なわれ、南米の凱旋門賞とも称されることのある南米最大のGⅠ競走カルロス・ペジェグリーニが創設されたのは1887年である。およそ130年にわたるレース史上、連覇を達成した馬は6頭しかいない。


・ オールドマン(1904年、1905年) ・ ムシェット(1911年、1912年) ・ マコン(1925年、1926年) ・ ロマンティコ(1938年、1939年) ・ フィロン(1944年、1945年) ・ ストームメイヤー(2005年、2006年)


 フィロンからストームメイヤーまで61年もの間が空いている。それには2つの理由があると考える。1つは、3歳馬と古馬との斤量差。2018年、19年、20年と3歳馬が制しているように、このレースは3歳馬が圧倒的に有利である。3歳馬が4歳になって勝つこと、もしくは、古馬が2年連続で3歳馬を倒すのは難しい。もう1つが、海外移籍が頻繁になったことである。3歳時にカルロス・ペジェグリーニを勝ち、実力が認められて翌年はアメリカに移籍するという流れが近年の主流である。レースを2年続けて走る機会そのものが少なくなっている。


 ストームメイヤー(Storm Mayor)は2002年8月20日にアルゼンチンの名門ラ・ビスナーガ牧場で産まれた。父はバーンスタイン、母父はエッグトスという血統。デビュー当初は大した馬ではなかった。2歳時は4戦1勝。3歳初戦となったGⅢ競走で8着に敗れ、3冠競走への出走が遠のいた。


 2005年10月にパレルモ競馬場で行なわれたダート1400m戦をかろうじて半馬身差で勝利し、3冠最終戦となるGⅠナシオナル(アルゼンチン・ダービー)に滑りこみで出走する。ここまで6戦2勝。2勝とも1400m戦での勝利であり、2500mのナシオナルは距離が長いように思われた。単勝オッズは13頭立ての11番人気となる42.50倍と、ファンも可能性のほとんどない馬とみなしていた。しかし、アルゼンチン2冠目のGⅠジョッキークルブを制した勝ち馬フォーティーリックス(Forty Licks)から3 1/2馬身差の3着と健闘した。もしかしたら、長距離が合うのではないか?


 12月10日、ストームメイヤーはカルロス・ペジェグリーニに出走する。ここで1つの転機が訪れた。アルゼンチン競馬史上最高の騎手であるパブロ・ファレーロが鞍上についたのである。名手の手綱に導かれたストームメイヤーは、道中は中団の内で脚を溜めると、最後の直線で鋭い末脚を見せ、先に抜け出した2冠馬フォーティーリックスをアタマ差交わして優勝した。2ヶ月前は1勝馬にすぎなかった馬が、一瞬にしてアルゼンチン競馬界の頂点に立った。年度代表馬は2冠馬フォーティーリックスに譲ったものの、素晴らしい形で2005年を終えた。


◆ 2005年カルロス・ペジェグリーニ



 4歳になったストームメイヤーの勢いは凄まじかった。上半期はアルゼンチン代表として競馬の南米選手権GⅠラティーノアメリカーノに出走して10着と奮わなかったが、下半期の復帰戦となった2006年10月7日のGⅠデ・オノール(ダート2000m)を8馬身差、11月18日のGⅠコパ・デ・オロ(芝2400m)を2馬身差と、芝・ダートを問わずの走りで国内GⅠ3連勝を達成した。


 本格化したストームメイヤーの前に敵はいなかった。12月16日、ストームメイヤーは連覇を懸けてカルロス・ペジェグリーニに出走した。好スタートから3番手を追走すると、直線入り口で早くも先頭に立ち、ペルーから参戦した4歳牝馬シュアイリー(Shuaily)の猛追を3/4馬身差振り切った。昨年とは異なるスタイルの、着差以上に危なげない競馬でフィロン以来61年ぶりとなる歴史的快挙を達成した。


◆ 2006年カルロス・ペジェグリーニ



 南米最大のGⅠ競走を連覇したサラブレッドに海外から購入オファーが届かないわけがない。ストームメイヤーはサウジアラビアの王族 Tirki Bin Badr Bin Saoud 氏(読み方不明)に購入され、2007年のドバイWCに出走することが決まった。


 3月、ストームメイヤーはブエノスアイレスにあるエセイサ国際空港からUAEに向けて出発しようとしていた。準備は進み、あとは飛行機に乗るだけという段階になって、まさかのトラブルが起こる。アルゼンチンの税関が売却額の過少申告による税金逃れの疑いをかけたのである。


 申告書にはストームメイヤーが12万ドルで売却されたと書かれていた(※これまでの総獲得賞金額の約半分)。しかし、アルゼンチン税関はカルロス・ペジェグリーニを連覇した馬の売却額が12万ドルとはありえないとみなし、最低でも200万ドルという評価額をつけた。何を根拠に200万ドルとしたのか分からない、気まぐれな数字である。税関はこの件に関して本格的な調査に乗り出すことを決めた。もしUAEへ向けて出国したいのなら、評価額200万ドルの10%にあたる20万ドルをデポジットとして払うよう命じた。結局、ストームメイヤーは出国できず、ドバイWC出走は幻と消えた。もし出走していれば、史上最高の南米産馬インバソールとのアルゼンチン産馬対決になっていた。


 購入者である Tirki Bin Badr Bin Saoud 氏は激怒した。ただちに馬を送るか、返金するかの2択を迫った。購入者にいっさい責任はない。彼は12万ドルで馬を買っただけである。税関の言い値200万ドルを払うなんて誰が考えてもバカげている。かといって、ストームメイヤーの陣営にも責任はない。彼らは12万ドルで馬を売却しただけであり、送ろうとしたところで税関に止められた。正当に売却して得た12万ドルを今さら返せとは受け入れられず、売却額以上にもなる20万ドルのデポジットを払うのも土台無理な話である。唯一の解決策として考えられたのが、新たな馬主のままストームメイヤーをアルゼンチンで走らせるということである。しかし、サウジの王族はアルゼンチン競馬にまったく興味がなかった。アルゼンチンで走らせたところで賞金は微々たるものだし、世界的な名声を得られるわけでもない。問題は泥沼化し、解決の兆しさえ見えなかった。


 一番の被害者は馬だった。ストームメイヤーは空港から馬房に戻された。しかし、売買契約がこじれているため、レースに出走することも、引退して種牡馬になることもできなかった。それどころか、人の所有物を勝手に使うことはできないとして、調教すら行なえなかった。ストームメイヤーは引き運動以外で馬房から出ることを許されなかった。61年ぶりにカルロス・ペジェグリーニを連覇した歴史的名馬は、太陽を拝むことすら満足にできないところまで落ちぶれたのである。


 問題が解決に向かい始めたのは、Tirki Bin Badr Bin Saoud 氏が亡くなったときである。彼の家族は揉め事に巻きこまれるのを嫌い、いっさいの関与を断った。それから長い手続きを経て、ストームメイヤーはようやく捕囚から解放された。馬房で飼い殺されていた歳月はなんと10年にもおよんだ。


 ストームメイヤーは2017年にアルゼンチンのラス・ニーニャス牧場で種牡馬入りした。2018年に3頭の初年度産駒が誕生している。翌年からはラ・ミッション・ロブレス牧場に移動し、2019年に18頭、2020年には12頭の産駒が産まれた。狭苦しい馬房から解放され、やっと手にした自由を謳歌しているかに思えた。しかし2020年4月、放牧中の事故により17歳で亡くなった。


 こんな仕打ちを受けるべき馬ではなかった。こんな惨めな馬生を送るべき馬ではなかった。すべてが順調だったならば、海外で活躍し、引退後は人気種牡馬になっていたに違いない。金を稼ぎたい、ビッグレースを勝ちたい、有名になりたい。ストームメイヤーはそんな人間の欲の犠牲者である。


----------

木下 昂也(Koya Kinoshita)

Twitter : @koyakinoshita24

G-mail : kinoshita.koya1024@gmail.com