• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

ヌーソーカナリアス:「誰がこの馬の価値を決められるというのだ?」


ヌーソーカナリアス(Noozhoh Canarias) 写真:Marca https://www.marca.com/turf/2017/03/31/58de2f11e5fdea91278b4576.html

 日本競馬史上もっとも強かった馬は誰か? シンボリルドルフかもしれないし、ナリタブライアンかもしれない。ディープインパクトかもしれないし、オルフェーヴルかもしれない。答えは年代によっても性別によっても分かれ、そこに意見の一致を見ることは決してない。


 シーザスターズか、フランケルか? ザルカヴァか、トレヴか? アメリカンファラオか、ジャスティファイか? おそらく、「あなたの国の最強馬は誰ですか?」と質問して、10人が10人とも同じ答えをする国はないだろう。ただ1ヶ国、スペインを除いては。


 スペインの最強馬は誰か? ヌーソーカナリアス(Noozhoh Canarias)である。それ以外の答えは認められないし、認められるべきでもない。もしヌーソーカナリアスと答えなければ、それはスペイン競馬を知らないか、人と違うことを言って目立ちたいだけの面倒な人間である。


 ヌーソーカナリアスは2011年1月19日、ホセ・ルイス・ボラーニョスとフアン・カルロス・ボラーニョスのボラーニョス兄弟が経営するスペインの農場グルーポ・ボラーニョス・グラン・カナリアで産まれた。父は2006年のGⅠフォレを優勝し、スペインのデエサ・デ・ミラーグロ牧場で種牡馬となったカラダック、母はダーレーの生産馬だがスペインで競走生活を送ったヌーサー、その父シングスピールという血統である。ボラーニョス兄弟の所有となり、スペインのエンリケ・レオン調教師に預けられた。


 なぜヌーソーカナリアスがスペイン競馬にとって特別な存在なのか? 競馬先進国で戦ったからである。フランスでそれなりの成績をおさめたスペイン調教馬はいる。だが、いずれもがフランス産馬かイギリス産馬、アイルランド産馬である。いわば、彼らは甲子園常連校の出身だった。一方、ヌーソーカナリアスはスペイン産馬であり、スペイン人馬主の所有であり、スペイン調教馬だった。スペインは数々のスポーツにおいて先進国だが、競馬の世界では格下の存在である。いわば、地区予選1,2回戦負けの弱小高校出身だった。純度100%のスペイン馬が、スペイン国旗をまとって世界の強豪馬と互角に戦ったからこそ、圧倒的な人気を誇っているのである。


 2013年5月1日、ヌーソーカナリアスはスペインでその年最初の2歳戦として行なわれた、サルスエラ競馬場の芝直線800mでデビューした。鞍上はホセ・ルイス・マルティネス。『マジック・マルティネス』の異名を持つ、スペイン競馬のトップジョッキーである。結果は、2着に2 3/4馬身差をつける快勝だった。



 6月20日の2戦目、芝1200mのカテゴリーB競走タタソールズも2馬身差で勝利すると、陣営はその非凡なスピードがどこまで通用するか試すことにした。3戦目として選ばれたのが、8月5日にフランスのラ・テスト=ド=ビュック競馬場で行なわれたリステッド競走である。誰もが、スペイン産馬ごときが勝てるはずないと思っていた。しかし、ヌーソーカナリアスは外枠からハナを切ると、そのまま逃げ切って3馬身差の快勝をおさめたのである。



 フランスでも通用する。自信をつけた陣営が次の舞台として選んだのは、10月6日のロンシャン競馬場、凱旋門賞と同日に行なわれたGⅠジャン・リュック・ラガルデールである。鞍上はクリストフ・スミヨンに乗り替わった。このレースから、スペインではマジック・マルティネスが、国外ではクリストフ・スミヨンが手綱を執ることになる。ヌーソーカナリアスはやや引っかかりながらも軽快に逃げた。残り200mまで先頭を走ったが、真後ろに控えていた後のBCマイル馬カラコンティ(Karakontie)に3/4馬身差交わされて2着に敗れた。しかし、スペイン産馬がフランスのGⅠで2着に食いこむとは、スペイン競馬にとって大快挙である。



 3歳になった2014年は、3月30日にマドリードで行なわれた芝1400mのレースから始動した。当然のように5馬身差の圧勝だった。2着に負かしたアルカイツ(Arkaitz)は、この年にスペイン競馬史上2頭目の3冠馬に輝く。そんな名馬を子供扱いするとは、もはやスペイン国内に敵はいなかった。


 次走、ヌーソーカナリアスはスペインでもフランスでもなく、イギリスに飛んだ。5月3日、ニューマーケット競馬場のGⅠ2000ギニーに、鞍上スミヨンで出走したのである。今回もハナを切った。発馬の早さは、この年の欧州3歳馬の中で間違いなくNo.1だった。初めて経験する1600mはやや長かったか、最後は息切れして6着に敗れた。しかし、ナイトオブサンダー、キングマン、オーストラリアと名馬ぞろいの中での6着である。GⅠデューハストSの勝ち馬ウォーコマンドや、GⅠBCジュヴェナイル・ターフの勝ち馬アウトストリップには先着した。



 ヌーソーカナリアスは2000ギニー後もイギリスに残った。7月12日のGⅠジュライCに出走するためである。ここでももちろんハナを切ったが、シェードパワーの6着に敗れた。勝ち星こそあげられなかったが、無名のスペイン産馬は競馬の本場に爪痕を残した。



 イギリス遠征を終えると、ヌーソーカナリアスはスペインのエンリケ・レオン調教師から、フランスで開業しているスペイン人調教師カルロス・ラッフォンの下に移籍した。日本では、オルフェーヴルを敗ったソレミアの調教師として有名である。ジュライCから3ヶ月後の2014年10月5日、凱旋門賞同日に行なわれたGⅠフォレに出走した。ヌーソーカナリアスは残り150mまで先頭を守り、最後はオリンピックグローリーの末脚に屈したものの、3着に粘った。しかも、2歳のときにGⅠジャン・リュック・ラガルデールで敗れたカラコンティに先着を果たした。



 ヌーソーカナリアスは翌2015年もフランスの重賞競走に出走したが、期待されたような成果はあげられなかった。同年10月からはスペインに復帰し、ホセ・アルベルト・レモリーナ調教師の管理馬となった。鞍上もホセ・ルイス・マルティネスに戻った。2016年6月19日には、スペインのマイル王決定戦であるカテゴリーA競走クラウディオ・カルデルを優勝した。スペインの競馬ファンは英雄の帰還の大歓声で喜んだ。それはまるで凱旋式だった。



 2017年4月30日、サルスエラ競馬場で行なわれたカテゴリーB競走アンドレス・コバルビアスで4着を最後に現役を引退した。通算成績は25戦7勝、重賞勝ちはない。しかし、数々の名馬と戦い、好勝負を演じ、ときには先着してみせた。ヌーソーカナリアスは記録よりも記憶に残るスペイン馬である。


 同年7月2日、スペイン競馬最大の競走マドリードが行なわれた日、ヌーソーカナリアスの引退式が開かれた。サルスエラ競馬場には6000人が押し寄せた。ヌーソーカナリアスには、片側に「あなたのすべてにありがとう(Gracias por todo)、もう片方に「あなたのことをいつまでも(Hasta Siempre)」と書かれた馬服が掛けられた。「ヌーソーカナリアスが走るのを見た」。これがスペインの競馬ファンにとっての自慢である。スペイン競馬史上最高のサラブレッドの称号は、ヌーソーカナリアス以外には絶対に与えられない。


 ヌーソーカナリアスがいかに愛されていたか、1つの逸話がある。2歳時にフランスのリステッド競走を勝った直後、香港の馬主から売却のオファーが届いた。60万ユーロという、スペイン競馬にとっては考えられない大金だった。しかし、ボラーニョス兄弟はオファーを突っぱねた。「誰がこの馬の価値を決められるというのだ?」と。ちなみに、GⅠジャン・リュック・ラガルデールを勝っていれば、売却額は200万ユーロまで高騰していたらしい。


 ヌーソーカナリアスは2018年からスペインのトレドゥエロ牧場で種牡馬入りした。2021年の種付け料は3000ユーロである。2021年5月2日、ヌーソーカナリアス自身がデビュー勝ちしたスペイン最初の2歳戦を、初年度産駒のブリボン(Bribón)が勝利した。これが種牡馬としての初勝利となった。


 2014年のイギリス2000ギニーに出走した馬は、アウトストリップ、ウォーコマンド、オーストラリア、キングストンヒル、キングマン、ザグレイギャツビー、シフティングパワー、ナイトオブサンダー、チャームスピリットと、世界のいずれかの国で種牡馬になり、活躍馬を輩出している。その中に、ヌーソーカナリアスも含まれる。競走馬としてスペインの人々を熱狂させたヌーソーカナリアスは、今度はスペイン生産界の希望を背負っている。彼の産駒から新たなヌーソーカナリアスが誕生してほしい。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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