
木下 昂也(Koya Kinoshita)
バルロベントを忘れるな!
2019年12月22日――、
列島が有馬記念に沸いた日の深夜、地球の裏側から眠気を吹き飛ばす衝撃的なニュースが伝えられた。
バルロベント牧場(Haras Barlovento)は、ペルーの首都リマから南へ約140キロメートル離れたカニェーテ郡にある競走馬の生産・育成牧場である。
22日の早朝、あるいは、日本時間の22日の夜、8名の襲撃者がトラックでバルロベント牧場に侵入すると、警備員や従業員を無力化したのち、牧場に繋養されていた4頭の種牡馬を斧と縄を使って殺害した。犯人たちは11時間もの間牧場に留まって残虐の限りをつくした。彼らの目的は馬の肉を売ること、つまり、金目当てであり、牧場内に保管されていた医薬品や発電設備も盗まれた。
殺された4頭の種牡馬とは、ザルーテナント(The Lieutenant)、サイラスアレクサンダー(Cyrus Alexander)、タイムリーアドヴァイス(Timely Advice)、カンフーマンボ(Kun Fu Mambo)である。
■ ザルーテナント(The Lieutenant) 2013年にアメリカで産まれ、GⅢオールアメリカン・ステークス(All American Stakes)を制した。母はステージマジック(Stage Magic)。つまり、無敗のアメリカ3冠馬ジャスティファイの半兄にあたる。南半球の種付けシーズンに合わせてバルロベント牧場で繋養されており、種付けが済めばニューヨークのシークエル・スタリオンズに戻る予定だった。
■ サイラスアレクサンダー(Cyrus Alexander) 2012年にアメリカで産まれ、GⅢローンスターパーク・ハンディキャップ(Lone Star Park Handicap)を制した。半兄には2010年のケンタッキー・ダービー馬スーパーセイヴァー(Super Saver)がいる良血馬である。2017年にバルロベント牧場が170万ドルでアメリカのストーンストリート・ステーブルから購入し、ペルーで繁殖生活を送っていた。
■ タイムリーアドヴァイス(Timely Advice) 2005年にアメリカで産まれた。現役時代に重賞勝ちはないが、2010年よりバルロベント牧場で種牡馬となると、重賞2勝のカルミ(Karmi)をはじめ、種牡馬として実績を残していた。
■ カンフーマンボ(Kun Fu Mambo) 2009年にアルゼンチンで産まれ、2012年のペルー・ダービーを優勝している。また、アメリカのサンタアニタ競馬場に遠征して勝ち星をあげている。
南米競馬界でバルロベント牧場の名を知らない者はいない。1973年にペルー4冠を達成し、南米版凱旋門賞とも言われるアルゼンチンのGⅠカルロス・ペジェグリーニを13馬身差でぶっちぎった伝説の名馬サントリーン(Santorin)を育成した牧場だからである。およそ70年の歴史を誇り、ペルーでもっとも古いサラブレッドの生産・育成牧場である。サラブレッドに愛情と情熱を注ぎ、アメリカから良血の種牡馬を導入など、種牡馬や繁殖牝馬にこれまで多くの投資を行なってきた。
事件後バルロベント牧場はインスタグラムにて、「われわれは多くのものを失った。しかし、もっとも辛いことは、4頭の種牡馬が味わった痛みを感じながら日々を過ごさなければならなことである」と、悲痛な胸の内を明かした。また、「犯罪者たちは種牡馬を殺しただけでなく、われわれの楽しみやモチベーション、情熱をも壊し、夢を奪い去った」と述べ、現在飼養している馬を売却し、牧場の歴史に幕を下ろす旨を報告した。あまりにも悲しい終焉、誰も望まなかった結末である。
牧場関係者は襲撃者たちが逮捕され、法の裁きを受けることを望んでいる。しかし、警察による事件の捜査は続いており、いまだに犯人が逮捕されたという報道はない。
また、2020年2月21日には、ベネズエラのラ・アランブラ牧場で2頭の牝馬が食肉目的で殺害されるという悲しい事件が起こった。2頭とは、2012年にベネズエラ年度代表馬を獲得したコメディアンテ(Comediante)の母ジョーディンマコーマ(Jordyn Macoma)と、GⅠ2勝馬オーシャンベイ(Ocean Bay)の母ステラーベイブ(Stellar Babe)である。
これら事件を聞いた多くの日本人がこう思うだろう。
「南米は治安が悪いから、こういう悲劇が起こったに違いない」
しかし、バルロベント牧場やラ・アランブラ牧場の惨劇を聞いて真っ先に思い出したのは、2019年9月に起こったたてがみ切り取り事件である。タイキシャトル、ローズキングダム、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットのたてがみが何者かによって切り取られ、フリマに出品されていた。事件は続報もなく、今やすっかり色褪せ、忘れている方も多いのではないだろうか。
犯人はたてがみを切り取った。つまり、犯人は容易に刃物で馬を一突きできる状況にもあったということである。悪意ある人間がたてがみの価値に飽き、肉に価値の矛先を向ければ? 日本は安全な国だから大丈夫だ、日本人がそんな野蛮なことをするはずないと、どうして油断できようか。バルロベント牧場の悲劇は決して他人事ではなく、日本でも起こりうる可能性が充分にある。
人間の価値観は一様ではない。自分の価値観と相手の価値観は決して同じではない。もっとも危険な行為は、自分が馬に愛情を持っているから、相手も馬に愛情を持ってくれるだろうという勝手な推測に甘んじることである。馬を人生のパートナーとして愛でる人がいる一方、馬を食肉としかみなせない人もいる。
「バルロベントを忘れるな!」
これは人間が馬という価値ある生命を扱う際の合言葉である。
【参考】 『バルロベント牧場HP』 http://www.barlovento.com.pe/main.php
『バルロベント牧場インスタグラム』 https://www.instagram.com/haras_barlovento/
『Turf Diario』 https://www.turfdiario.com/drama-en-el-haras-barlovento-en-peru-delincuentes-mataron-a-sus-4-padrillos/ https://www.turfdiario.com/despues-del-horror-el-haras-barlovento-anuncio-su-liquidacion-total/
『Todo Galope』 https://www.todogalope.com/tragedia-delincuentes-asesinan-a-cuatro-padrillos-del-haras-barlovento-en-lima/
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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