• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

フィリピン一族、あるいはテレビ一族



テレスコーピコ(Telescópico) 写真:Popular https://www.diariopopular.com.ar/turf/telescopico-el-ultimo-crack-ganar-la-cuadruple-corona-n487666

フィリピン一族


 前回、アルゼンチンのニポーナ(Nipona)から派生する競走馬の一族である『日本一族』、あるいは『嵐一族』を紹介した。今回紹介するのは、1962年にアルゼンチンで産まれたフィリピーナ(Filipina)から派生する競走馬の一族である。


 "Filipina" はスペイン語で「フィリピンの」という形容詞の女性形になる。馬名の意味は「フィリピン人女性」となり、したがって、『フィリピン一族』と名づけていいだろう。フィリピン一族は、日本一族ほど多くの活躍馬を輩出したわけではないが、競馬史に名を刻む大物を産み出した。いわば、日本一族が連発花火だとしたら、フィリピーナ一族は大玉花火である。



フィリピーナの産駒


 1971年、テーブルプレイとの間にフィリピーナ2番目の産駒テレフォニコ(Telefónico)が誕生した。以降、フィリピーナの産駒はいずれもテーブルプレイを父に持つ。テレフォニコは26戦5勝という成績を残した。1974年にはアルゼンチンの2000ギニーにあたるGⅠポージャ・デ・ポトリージョスと、3歳以上のGⅠサン・イシドロを優勝した。1975年にはアメリカに渡り、ベルモントパーク競馬場のGⅢエッジミアSを優勝した。1976年にはブラジルに遠征し、同国最大のGⅠ競走ブラジルに出走して2着になった。引退後はアルゼンチンで種牡馬入りし、1985年に南米最大のGⅠ競走カルロス・ペジェグリーニを優勝したサルバテテル(Sálvate Tel)を輩出した。


 フィリピーナ3番目の産駒は、1972年に産まれたティタニア(Titania)である。ティタニアは競走馬としては成功できなかったが、繁殖牝馬として能力を発揮した。8頭の産駒を残し、うち1頭が、1983年に牝馬限定GⅠコパ・デ・プラタを優勝したシパーヨ産駒のセルバターナ(Cerbatana)である。また、1985年からはアメリカに移り、1989年にラッキーレディーブランディー(Lucky Lady Brandy)を産んだ。その娘ララグーナベルデ(La Laguna Verde)はアルゼンチンに輸入され、2008年7月4日にオーペンとの間にララグーナアスール(La Laguna Azul)を産んだ。ララグーナアスールは、2011年にエンリケ・アセバルとコパ・デ・プラタという牝馬GⅠ2勝を含む重賞4勝と活躍した。


 1973年に産まれた4番目の仔がターバ(Taba)である。ターバは1976年にアルゼンチンの1000ギニーに相当するGⅠポージャ・デ・ポトランカスを優勝した。1977年からはアメリカで競走生活を送ったが、残念ながら活躍できなかった。引退後はそのままアメリカで繁殖入りした。1981年、ターバはアリダーと種付けされた。翌年産まれたのがターコマン(Turkoman)である。ターコマンは1986年にGⅠワイドナーH、GⅠマールボロCを優勝し、BCクラシックでも2着に入った。また、ターバは日本競馬にも影響を与えたが、その話は後に回す。


■ 1986年のGⅠマールボロCを勝ったターコマン



 1975年、フィリピーナはアルゼンチン競馬史だけでなく、世界の競馬史に名を刻む名馬を輩出した。10月20日に産まれたその牡馬の名を、テレスコーピコ(Telescópico)という。テレスコーピコとは、スペイン語で「望遠鏡の」という意味の形容詞である。1978年、3歳となったテレスコーピコは女性騎手マリーナ・レスカーノを背に、GⅠポージャ・デ・ポトリージョス、GⅠジョッキークルブ、GⅠナシオナル、GⅠカルロス・ペジェグリーニを制し、アルゼンチン競馬史上10頭目となる4冠馬に輝いた。フィリピーナは、テレフォニコ、ターバ、テレスコーピコと、3頭ものGⅠ馬の母となった。なお、アルゼンチン4冠馬はテレスコーピコ以来誕生していない。翌年、テレスコーピコはヨーロッパ遠征を行ない、イギリスのキングジョージなどに出走したが(5着)、イタリアGⅠローマでの2着が最高成績と振るわなかった。引退後はブラジルで種牡馬入りした。7世代221頭の産駒を残し、うち111頭が勝ち上がった。代表産駒には、18戦12勝、GⅠ3勝を含む重賞8勝をあげたガーデンオブラヴ(Garden Of Love)がいる。


 フィリピーナ最後の産駒となったのが、1977年に産まれたテレスコーピカ(Telescópica)である。テレスコーピカは競走馬としては大成しなかったが、シパーヨとの間に産まれた初仔クープラ(Cúpula)を通じて、2013年のGⅠホアキン・S・デ・アンチョレーナなど重賞9勝のインフィルトラーダ(Infiltrada)が産まれた。2番目の産駒でクープラの全妹ミスパブリータ(Miss Pablita)からも、2004年にGⅠを2勝し、アルゼンチン最優秀2歳牡馬に選出されたフォーティーミラージュ(Forty Mirage)が誕生した。また、同じくシパーヨとの間に産まれた4頭目の産駒テレメトリカ(Telemétrica)を通じて、2017年にウルグアイのエリザベス女王杯にあたるGⅠシウダー・デ・モンテビデオを優勝したブリジャンテオーケー(Brillante OK)を輩出した。


■ 2017年にGⅠシウダー・デ・モンテビデオを勝ったブリジャンテオーケー



 テレフォニコ、テレスコーピコ、テレスコーピカ。その他にも、テレメトリカ、テレファックス、テレガール、テレムンドと、フィリピン一族には「テレ〇〇」という名前を持つ馬が多い。"Tele" はスペイン語でテレビを意味する名詞 "Televisión" の略語になる。したがって、『テレビ一族』と呼ぶこともできるだろう。



日本のフィリピン一族


 話をフィリピーナ4番目の産駒ターバに戻そう。1994年、ターバとシルヴァーホークとの間にアイアンドユー(I And You)という牝馬が誕生した。アイアンドユーは日本のグランド牧場に輸入され、日本で競走生活を送った後、同牧場で繁殖牝馬となった。2013年にアイアンドユーとジャングルポケットとの間に産まれたのが、ノーブルマーズである。ノーブルマーズは、フィリピン一族の末裔という貴重の血の持ち主なのである。


 また、フィリピーナ最後の産駒テレスコーピカの7番目の産駒にソラーティカ(Solartica)がいる。ヘイローを父に持つこの牝馬はアメリカで産まれ、主にイギリスで競走生活を送った後、バンブー牧場に輸入されて日本で繁殖牝馬となった。2007年にアフリートとの間に産まれたのが、2013年のGⅢオーバル・スプリントを制するなど南関東で活躍したセイントメモリーである。セイントメモリーといえば、引退後に大井競馬場の先導馬となり、2020年に競馬場を脱走して車と衝突した馬としても有名である。この馬もアルゼンチンのフィリピン一族に属する。


 前回紹介したニポーナから派生する日本一族は、繁殖牝馬として輸入されたジョイニデーラ、ナスティア、ジョイニキータを通じて、日本でも繁栄するに違いない。一方、日本の『フィリピン一族』はすでに廃れたと言っても過言ではない。目立った活躍馬はおらず、日本にいる末裔の大半がサラブレッドとしての役目を終えた。ノーブルマーズが種牡馬になれるか? それがほぼ唯一の希望である。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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