• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

ポトリフラッシュ:日陰馬から名脇役へ

写真 : "El Turf"

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脇役の重要性


 競馬を盛りあげるのはアーモンドアイやコントレイルのような主役である。しかし、主役を目立たせる脇役の存在も盛りあがりには欠かせない。脇役とすなわち、ステイゴールドのような善戦マンであり、ウインバリアシオンのような引き立て役である。彼らは「もし○○がいなければ……」や、「もし産まれた時代が違えば……」などと憐れまれる。スターホースの陰には必ずこうした脇役が存在する。ウルグアイでは、主役がジョニー・デップ、レオナルド・デカプリオ級だったために、おそらく世界でもっとも日陰に甘んじなければならなかった馬がいる。


 ポトリフラッシュ(Potri Flash)という馬について知っている日本の競馬ファンはほとんどいないだろう。ポトリフラッシュは2002年9月20日に、ウルグアイの首都モンテビデオにあるガヴロッシュ牧場で産まれた牡馬である。父はアルゼンチン産馬ポトリドーン(Potridoon)、母もアルゼンチン産馬ナイアガラフォールズ(Niagara Falls)と、ウルグアイ産馬ながら血統はアルゼンチン由来である。


 2005年2月13日、ポトリフラッシュはマローニャス競馬場のダート1100m戦で競走馬としてデビューした。結果は4着と奮わなかった。初勝利はキャリア3戦目。5月21日にマローニャス競馬場で行なわれたダート1400m戦であげた。


 ポトリフラッシュは3冠競走への出走を懸けて重賞に挑む。4走目のGⅡクリテリウムでは勝ち馬から半馬身差の2着、5走目となったGⅢエンサージョでは3馬身差の3着と、勝ち星こそあげられなかったものの、世代の上位馬として3冠競走に駒を進めることができた。だが、このときからすでに「あと一歩足りない馬」の片鱗を見せていたと言える。



世界最強馬の引き立て役に


 2005年のウルグアイ3冠競走。ポトリフラッシュの前に難敵が立ちふさがった。史上最高の南米産馬インバソール(Invasor)である。インバソールは1冠目のポージャ・デ・ポトリージョス(2000ギニー)を5 3/4馬身差、2冠目のジョッキークルブを3 1/2馬身差、3冠目のナシオナル(ダービー)を6 1/2馬身差と、圧倒的な強さを見せつけて無敗のウルグアイ3冠馬となった。ナシオナルの後にアメリカに移籍すると、BCクラシックやドバイWCを制して世界No.1の座に君臨した。


 以前、TBSのテレビ番組『水曜日のダウンタウン』で、「ハンマー投げ日本2位 誰も知らない説」という企画をやっていた。1位が室伏広治と分かっても、2位が土井宏昭だと知っている人はまったくいなかった。インバソールがウルグアイ3冠を達成したことは多くの競馬ファンが知っている。では、インバソールの2着は誰か? 誰も知らない。答えはポトリフラッシュである。ポトリフラッシュは3戦ともインバソールの2着だった。つまり、もしインバソールがいなければ、ポトリフラッシュが3冠馬になっていた。


 2005年、ポトリフラッシュは重賞で4度の2着と活躍したが、勝ち星は初勝利の1勝だけだった。まるで絵に描いたような善戦マンである。



善戦マン、再び引き立て役に


 ポトリフラッシュは2006年の上半期を休養にあてると、4歳となった9月10日に戦列に復帰した。マローニャス競馬場のダート1500m戦に出走し、待望の2勝目をあげる。このレース名が『インバソール賞』だったのは、インバソールには勝てなかったから、せめてインバソールの名前がついたレースは勝ってやろうという意地だろうか。重賞勝ちはなかったものの、2006年を5戦4勝2着1回、うち1勝はダート1800mのレコードタイム(※2021年現在も)という好成績で終え、善戦マンの卒業、来年への飛躍を予感させた。


 2007年1月6日、マローニャス競馬場のダート2400mでウルグアイ最大のGⅠ競走、ウルグアイのジャパンCにあたるGⅠホセ・ペドロ・ラミーレスが開かれた。ポトリフラッシュは有力馬の1頭として出走した。インバソールはアメリカに移籍して不在。主役の座に登りつめる絶好のチャンスである。


 3枠から発走したポトリフラッシュは中団を追走し、4コーナーを絶好の手応えで回った。ポトリフラッシュ時代の到来を誰もが予想しただろう。しかし、早めに先頭に並びかけていった3歳馬グッドリポート(Good Report)の脚色がまったく衰えない。結局、ポトリフラッシュはグッドリポートから6 1/2馬身も離された3着に敗れた。まったく善戦マンらしい結果である。主役不在で迎えた1戦で、ポトリフラッシュは自らが主役に躍り出るのではなく、新たな主役の脇役に回らされたのである。


◆ ポトリフラッシュはやはり善戦どまり



 同年3月17日、アルゼンチンのラ・プラタ競馬場で競馬の南米選手権GⅠラティーノアメリカーノが行なわれた。ポトリフラッシュはウルグアイ代表馬として出場した。1981年から始まったこのレースにおいて、これまでウルグアイ代表馬が勝ったことは一度もなかった。ポトリフラッシュはここで4着と好走してウルグアイ競馬の面目を保つ。だが、ポトリフラッシュが称賛されることも注目されることもなかった。なぜなら、勝利したのは新たな主役グッドリポートだったからである。グッドリポートがウルグアイに初の栄誉をもたらした。


◆ 大舞台でまたもグッドリポートの引き立て役に回る



 2007年はウルグアイ競馬にとって最良の1年と言われる。この年、インバソールがドバイWCを制し、グッドリポートが南米王者に輝いたからである。2頭の陰に隠れた馬。それがポトリフラッシュである。


 ポトリフラッシュはウルグアイで計6勝をあげたものの、重賞はGⅡ競走を1勝しただけ。GⅠはついに勝てなった。ウルグアイでの通算成績は20戦6勝、2着8回、3着4回、4着1回、6着1回と掲示板を外したのは1回のみ、3冠競走はすべて2着。競走馬としてまったく申し分ない実績である。しかし、誰も2位のことなんて知らない。日陰馬になんて興味がない。


◆ 唯一の国内重賞勝ちとなったGⅡプレシデンテ・デ・ラ・レプブリカ



日陰馬は名脇役へ


 善戦マンと聞いて真っ先に思い浮かべるのがステイゴールドである。国内では48戦5勝、GⅡ2勝。12度もの2着と8度もの3着がある。しかし、ステイゴールドが名馬であることに異論はない。なぜなら、当時GⅡだったドバイ・シーマクラシックとGⅠ香港ヴァーズを制し、海外で無類の強さを発揮したからである。


 ポトリフラッシュの善戦マンぶりはまるでステイゴールドだが、海外での強さもまさにステイゴールドのようだった。


 ポトリフラッシュは後輩グッドリポートの4着と苦渋を味わったラティーノアメリカーノ後もアルゼンチンに残り、アルゼンチン競馬のレースを走る。ウルグアイとアルゼンチンはラ・プラタ川を挟んだだけの隣国とはいえ、歴とした海外遠征である。


 2007年4月7日、パレルモ競馬場のダート2000mで行なわれたGⅠデ・オノールに出走する。ポトリフラッシュは出走唯一の外国産馬だった。メンバーは手薄ながら、ここで2着に入って格上のアルゼンチン競馬でも充分通用する実力を示す。


 次走は5月1日に同じ条件で行なわれたGⅠレプブリカ・アルヘンティーナ。日本語にすると『アルゼンチン共和国大賞』となる。無敗の4連勝でデ・オノールを制したエルチャルレータ(El Charleta)に加え、ラティーノアメリカーノ2着のペルー馬ロカエイミー(Loca Amy)、そして南米王者グッドリポートもここに出走してくるなどメンバーレベルは格段に上がり、2,3着だらけの日陰馬は単勝オッズ36.60倍、16頭立ての9番人気と人気薄だった。しかし、ポトリフラッシュはいつもの善戦マンではなかった。2番人気エルチャルレータをわずか短クビ差で退けて優勝したのである(※グッドリポートはレース中に怪我をして13着に敗れた)。自身初にして生涯唯一のGⅠ勝利を海外GⅠで達成した。


 ポトリフラッシュは6月18日のGⅡヘネラル・ベルグラーノも優勝し、海外重賞2勝をあげた。アルゼンチンでは5戦2勝、2着2回、4着1回。異国の地でも持てる力を存分に発揮した。


 ポトリフラッシュはウルグアイ競馬史においてトップ10に入る馬ではない。主役になれる実力の持ち主ではあった。だが、世界王者に君臨したインバソールが、南米王者に輝いたグッドリポートがいる時代に産まれたのがツイていなかった。しかし、偉大すぎる2頭の陰に隠れながらも、脇役としてウルグアイ競馬を盛りあげた。それも海外GⅠを制した名脇役として。3冠すべてで銀メダル。2,3着ばっかり。だが、彼のような存在がいるからこそ競馬に深みが出る。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

Twitter : @koyakinoshita24

G-mail : kinoshita.koya1024@gmail.com

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