• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

ミステリブル:落雷事故から世界記録を作った馬


写真:La Nación https://www.lanacion.com.ar/deportes/turf/un-rayo-mortal-cambio-el-curso-de-su-vida-y-se-convirtio-en-una-yegua-ilustre-con-un-record-mundial-nid21042021/

GⅠ連勝記録


 1972年6月8日、イギリスのミルリーフ(Mill Reef)がエプソム競馬場で行なわれたGⅠコロネーションCを優勝し、GⅠ6連勝という当時の世界記録を樹立した。これは出走機会6連勝――間にGⅠ以外の競走を挟んでいる――ではなく、6戦連続GⅠ競走を走って勝利したという意味である。


 ミルリーフの記録は30年間破られなかった。この記録を更新した馬こそ、「ザ・ロック」の愛称で親しまれたロックオブジブラルタル(Rock Of Gibraltar)である。マンチェスター・ユナイテットの監督だったアレックス・ファーガソンが所有していたことでも有名なこのアイルランド産馬は、2002年9月8日にロンシャン競馬場で行なわれたGⅠムーラン・ド・ロンシャンを制し、2001年10月7日のGⅠグラン・クリテリウムから続いたGⅠ連勝を7に伸ばした。


 同じ年にもう1頭、GⅠ7連勝を達成した馬が南半球にいた。父にニューメラスを持つアルゼンチン産馬ミステリブル(Miss Terrible)である。アルゼンチンの名門フィルマメント牧場の生産・所有というこの牝馬は、2002年4月13日にサン・イシドロ競馬場で行なわれたGⅠエリセオ・ラミレスを勝利すると、ホルヘ・デ・アトゥーチャ、デ・ポトランカス、エストレージャス・ジュヴェナイル・フィリーズ、1000ギニー、ポージャ・デ・ポトランカスとGⅠ競走を6連勝した。ザ・ロックから遅れることわずか2ヶ月、2002年11月2日にサン・イシドロ競馬場で行なわれたGⅠエンリケ・アセバルを優勝し、GⅠ7連勝の世界タイ記録を樹立したのである。


 ロックオブジブラルタルとミステリブルでは知名度が違う。競走馬を引退した後の活躍具合も違う。したがって、日本に伝わってくる情報量にも大きな差が出る。ロックオブジブラルタルに関しては知っているが、ミステリブルは聞いたこともない、というファンは多いのではないだろうか。しかし、ミステリブルは興味深い逸話の持ち主である。



落雷事故


 1999年10月1日、ミステリブルはアルゼンチンのフィルマメント牧場で産まれた。父ニューメラス、母父ファルネシオという血統の牝馬。近親に目立った活躍馬がいないこと、10月と比較的遅くに産まれたことなどから――南半球は7月で馬齢が変わるので、日本なら4月産まれに相当する――、あまり注目された馬ではなかった。フィルマメント牧場はミステリブルを他の馬主に売却すると決めた。


 しかし、1歳の秋――日本なら春――に運命が変わった。深夜、フィルマメント牧場が位置するシエラ・デ・ロス・パドレスという地域を激しい雷雨が襲った。雷が牧場の一角に落ち、なんと不運なことに、その落雷事故が原因で1頭の牝馬が亡くなってしまったのである。それも将来を嘱望されていた馬だった。


 翌朝、牧場関係者が亡骸を発見した。訃報はすぐに牧場長のフアン・カルロス・バゴー氏に伝えられた。晴天の霹靂にショックは大きかったが、バゴー氏は即座に別の馬をフィルマメント牧場の手元に残すことを決断した。


 売却予定リストの中から選ばれたのがミステリブルだった。際立った存在ではなかったが、全姉ミスティナ(Miss Tina)が重賞馬であることと、ニューメラス×ファルネシオという組み合わせの馬が直近のレースで好成績をおさめていたことが理由だった。落雷事故から数ヶ月後、ミステリブルはサン・イシドロ競馬場に送られ、ミゲル・ガルシーア調教師の下でデビューに備えることになった。



競走馬として


 2002年2月16日、ミステリブルはサン・イシドロ競馬場の1000mで競走馬としてデビューした。鞍上はエドガルド・グラマティカ騎手。直線1000mのレースにもかかわらず、2着馬に8馬身差をつける完勝をおさめた。


 次走は3月3日にGⅠサトゥルニーノ・J・ウンスエーに出走した。だが、勝ち馬ボーフェイト(Beau Fete)から1/2馬身差の2着に敗れた。もしこのGⅠ競走も勝っていれば、ミステリブルがGⅠ8連勝で世界記録だったのに……というタラレバは厳禁である。しかし、3戦目のGⅠエリセオ・ラミレスから怒涛のGⅠ7連勝で、ロックオブジブラルタルに並ぶ世界記録を作った。


 不謹慎な表現になるが、GⅠ7連勝という当時の世界タイ記録、牝馬としては文句なしの世界記録は、突然の雷雨のおかげで誕生した。事故がなければ、ミステリブルはフィルマメント牧場から別の馬主へ売却され、まったく違った馬生を歩んでいただろう。運はどれだけ重要なことか。


■ GⅠ初勝利となったエリセオ・ラミレス



■ GⅠ7連勝を達成したエンリケ・アセバル



その後


 エンリケ・アセバルの後、ミステリブルはアメリカに移籍した。競馬の本場でも強さを見せるかと思われたが、移籍2戦目が終わった後に骨折し、1年半の休養を強いられた。復帰後はGⅢを連勝したものの、今後は咳と蕁麻疹に苦しめられ、アルゼンチン時代ほどの輝きはとうとう放てなかった。2006年1月29日のGⅠサンタ・モニカHで2着になったのを最後に現役を引退した。


 引退後はアメリカで繁殖牝馬となった。産まれ故郷のフィルマメント牧場はミステリブルを買い戻そうとしたが、所有者のハマースミス氏が「世界中にこの牝馬の素晴らしさを知ってもらいたい」との意向で、首を縦に振らなかった。残念ながら、産駒から活躍馬は出ていない。


 最後に、ミステリブルの小さな逸話を述べておく。2009年4月2日、バーナーディニとの初仔が誕生した。この馬は日本の林正道氏に購入され、ゲンテンの名でJRAに登録された。ゲンテンは2011年9月19日の札幌競馬場でデビューし、蛯名正義騎手を背に勝利をあげた。アルゼンチン競馬が輩出した歴史的名牝の母としての初勝利は、地球の裏側の日本だった。


※本記事は、カルロス・デルフィーノ記者がアルゼンチンの日刊紙『ラ・ナシオン(La Nación)』に掲載した"Miss Terrible: un rayo mortal cambió el curso de su vida y se convirtió en una yegua ilustre con un récord mundial"を参考に作成された。


----------

木下 昂也(Koya Kinoshita)

Twitter : @koyakinoshita24

G-mail : kinoshita.koya1024@gmail.com