• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

メキシコ・サラブレッド生産の砦『サン・ホルヘ』


写真:Ruiz Healy Times(左の黒いシャツの男性がヘルマン・ラレーア氏) https://ruizhealytimes.com/sin-categoria/german-larrea-y-la-serie-hipica-del-caribe-un-pronostico-hecho-realidad/#

 メキシコ3冠を達成した馬は8頭いる。


1946年 プラッキーフラッグ(Plucky Flag)

1949年 レトルタ(Re-Torta)

1966年 カチャーバ(Cachava)

1979年 グランサル(Gran Zar)

1980年 ピコタソ(Pikotazo)

2002年 ドミンシアーノ(Dominciano)

2015年 ウイトラコチェ(Huitlacoche)

2018年 ククルカン(Kukulkán)


 うち2頭、2015年のウイトラコチェと2018年のククルカンを所有したのが、サン・ホルヘ(Cuadra San Jorge)という馬主である。また、2018年にはクッツァマラ(Kutzamala)が牝馬3冠を達成しているが、この馬もサン・ホルヘの所有だった。


 8頭の中でもっとも有名なのがククルカンである。2019年のGⅠペガサス・ワールドカップに、フランキー・デットーリが騎乗して話題となった。


 2021年4月17日、オークローンパーク競馬場で行なわれたGⅠアップル・ブラッサムHでモノモイガール、スイススカイダイヴァーといった強豪を撃破して大金星をあげたのは、メキシコ調教馬のレトルスカ(Letruska)だった。このレトルスカを所有するのもサン・ホルヘである。


 サン・ホルヘ、英語では「セント・ジョージ」となるメキシコNo.1の厩舎を運営するのが、ヘルマン・ラレーア氏(Germán Larrea)である。ラレーア氏はいったい何者なのか?


 メキシコと聞いて思い浮かぶ有名な物をいくつか挙げてみよう。タコス、アボガド、テキーラ。サッカー、ボクシング、ルチャリブレ。カンクンやアカプルコといったビーチリゾート。これら「ザ・メキシコ」に加えて、メキシコは金、銀、亜鉛、鉛といった鉱山資源に恵まれている。世界史を学んだ人なら、サカテカス銀山という鉱山を一度は聞いたことがあるだろう。


 鉱山大国メキシコで最大手の鉱山企業となるのがグルーポ・メヒコ(Grupo México)である。グルーポ・メヒコはメキシコの株価指数であるボルサ指数を構成する。つまり、日本なら日経平均や東証株価指数、アメリカならダウやナスダックを構成するような超一流企業である。そのグルーポ・メヒコのCEOを1994年から務めているのが、ヘルマン・ラレーア氏である。アメリカの経済誌フォーブスによると、彼の純資産は290億ドル、日本円で3兆にもなり、2021年は世界長者番付で61位に入った。サン・ホルヘを運営しているのは、顎が外れるほどの大金持ちということである。


 1953年10月26日生まれのラレーア氏は、父親のホルヘ・ラレーア氏からサン・ホルヘと共に、サラブレッドへの情熱を引き継いだ。もう1つ、GLという厩舎も持っているが、これは彼の妻ロシー・リオンダの運営になっている。


 ラレーア氏は経営者だが、サラブレッド事業は仕事でも経営でもなく、情熱であり趣味である。彼はサラブレッド生産に惜しみなく資金を投入している。ポイントデターミンド(Point Determined)、インプレヴィアス(Imprevious)、フリーシンキング(Free Thinking)といった種牡馬を導入し、イングリッシュチャンネル、スマートストライク、ストームキャットといった産駒の繁殖牝馬をアメリカから購入した。また、サン・ホルヘの英語読みセント・ジョージの名で、ケンタッキーに自身の牧場を持っている。そこで生産されたのが、GⅠアップル・ブラッサムHを勝ったレトルスカである。彼の最大の夢はケンタッキー・ダービーを勝利することだそうだ。今ではメキシコで年間出走するサラブレッドのおよそ4分の1がサン・ホルヘの馬であり、ヘルマン・ラレーア氏がいなければメキシコでサラブレッドのレースができないとさえ言われる。


 ラレーア氏の競馬への情熱がうかがえるエピソードがある。


 2015年12月、3冠馬ウイトラコチェで中米競馬の祭典クラシコ・デル・カリベに出走した。この年の開催地はパナマのプレシデンテ・レモン競馬場。戦前の予想では、ウイトラコチェが中米最強馬に輝くことがほぼ確実視されていた。しかし、直線で地元パナマ代表のカリニコ(Calínico)との壮絶な追い比べの末、僅差の2着に敗れてしまった。ラレーア氏は「勝利を盗まれた」と激怒した。ウイトラコチェを管理するファウスト・グティエレス調教師も、直線で斜行があったと猛抗議した。が、着順は変わらず。ラレーア氏は人生の成功者で、メキシコ競馬では圧倒的な成績で馬主リーディングを獲得し続けていた。言い換えれば、彼は敗北を受け入れることに慣れていなかった。


■ 2015年クラシコ・デル・カリベ


 ラレーア氏は頻繁にラス・アメリカス競馬場を訪れていた。1943年に開場したラス・アメリカス競馬場を設計したのは、父親の親友であるブルーノ・パグリアイというイタリア系アメリカ人だった。しかし、2014年以降は競馬場に姿を見せなくなった。それどころか、人前に出ることすらあまりなくなった。CEOを務めるグルーポ・メヒコが、硫酸銅によるメキシコ史上最悪の環境災害を起こしたことが理由の1つである。


 メキシコはサラブレッド生産の危機に瀕している。ここ数年、メキシコ国内では100頭~200頭のサラブレッドしか誕生していない。ラス・アメリカス競馬場でのレースも、たしかにサラブレッドのレースはあるが、クォーターホース(Cuarto de Milla)のレースが主流である。1日のすべての競走がクォーターホースのレースということも珍しくない。メキシコのサラブレッド生産は、遅かれ早かれ消滅するとの指摘がある。


 では、その消滅はいつか? 十中八九、ヘルマン・ラレーア氏とサン・ホルヘが競馬界から退場したときである。サン・ホルヘは有力馬主というだけでなく、メキシコ・サラブレッド生産の砦でもある。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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