• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

レフィナードトム:クローン化されたチョコレート好きな3冠馬

この記事は、2020年10月10日にカルロス・デルフィーノ氏がアルゼンチンの日刊紙 "La Nación" に掲載した記事 "El crack malcriado que ganó la Triple Corona, comía chocolates, sólo pudo tener tres crías y fue clonado" を翻訳・改編したものになります。

 1993年、アルフィオ・バシーレ率いるサッカー・アルゼンチン代表が南米選手権で連覇を達成した。コメディドラマ『グランデ・パ!』は過去最高となる視聴率を記録した。秋にはジュラシック・パークが映画化された。そしてこの年の冬、アルゼンチンは過去30年で最悪という記録的な寒さに見舞われた。地面も凍りついた8月28日の早朝、首都ブエノスアイレスの25・デ・マヨ地区にあるラ・ビスナーガ牧場でレフィナードトム(Refinado Tom)は産まれた。このときは誰しも、どんな楽観的な人物でさえも、この鹿毛馬が3年後にポージャ・デ・ポトリージョス、ジョッキークルブ、ナシオナルのアルゼンチン3冠を達成するとは思わなかった。


 ラ・ビスナーガ牧場で産まれた牡馬は、そのほとんどがセリに出される。だが、牧場はレフィナードトムを所有することにした。それは素質の高い馬だったからではなく、セールに上場したものの、納得できるオファーが届かなかったからである。レフィナードトムは尻が大きく、首が太く、短距離向きの馬体をしており、筋肉過多のように思われた。


 レフィナードトムはロベルト・ブルリッチ調教師に預けられ、デビューに備えて調教を積んだ。しかし、調教で良い動きを示すことはなかった。1996年2月25日にパレルモ競馬場のダート1200mで競走馬としてデビューしたものの、4着に敗れた。しかし、1ヶ月後に挑んだ2戦目では、ブルリッチ師が驚くほどの変わり身を見せ、初勝利をあげた。


 勢いに乗ったレフィナードトムは、GⅠラウール・イ・ラウール・E・シュヴァリエ、GⅠエストレージャス・ジュヴェナイルという2つの2歳GⅠを優勝し、1996年のアルゼンチン最優秀2歳牡馬に選出された。また、上述したように、GⅠポージャ・デ・ポトリージョス、GⅠジョッキークルブ、GⅠナシオナルのアルゼンチン3冠を達成し、その年の年度代表馬と最優秀3歳牡馬にも選出された。心配された距離はまったく問題なかった。ちなみに、アルゼンチン3冠馬はこのとき以来、25年もの間誕生していない。


■ 2冠目のGⅠジョッキークルブ。鞍上は名手ホルヘ・バルディビエーソ。


 レフィナードトムは南米最大のGⅠ競走カルロス・ペジェグリーニには出走せず、翌年からアメリカのリチャード・マンデラ厩舎に移籍することになった。アメリカでは10戦して1勝しかできなかった。しかし、その1勝が2着に7馬身差をつけて圧勝したGⅢネイティヴ・ダイヴァーHという価値ある勝利だった。


 1998年11月のレースを最後に現役を引退し、アルゼンチンに帰国して種牡馬となる予定だった。しかし、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港に到着したレフィナードトムを見たロベルト・ブルリッチ調教師は、馬の状態がすこぶる良好だとして、競走馬としてアルゼンチンで再デビューさせることを決めた。帰国後も競走馬を続けるのは非常に稀であり、最近ではヴィレッジキング(Village King)しか例がない。ブルリッチ師の判断は正しく、レフィナードトムは1999年5月のGⅡベニート・ビジャヌエバで約2年半ぶりにアルゼンチンで白星をあげると、6月にはGⅠエストレージャス・クラシックを優勝した。「帰国して初勝利をあげたとき、わたしは感動して泣いたよ」と、ロベルト・ブルリッチ調教師は振り返った。


 レフィナードトムは2000年に現役を引退し、産まれ故郷のラ・ビスナーガ牧場で種牡馬となった。しかし、わずか3頭しか産駒を残せなかった。種付けが上手くできず、2年供用されただけで種牡馬を引退することになったからである。2019年12月9日に26歳で亡くなるまで、食べて、寝て、走って、たまに訪れたブルリッチ師と写真を撮りと、まるで王様のような暮らしで余生を満喫した。


 ラ・ビスナーガ牧場の統括を担当していたフアン・イトゥラルデ氏によると、レフィナードトムは強い個性の持ち主で、決して行儀の良い馬ではなかった。人間に対して好意的ではなく、誰かが馬房に近づくと耳を絞った。撫でられるのも好きではなかった。レースの日は調教師に反抗的で、なかなか鞍をつけられなかった。彼の大好物はなんとホワイト・チョコレートだった。アメリカからアルゼンチンに帰国したときの話である。飛行機の貨物にブルリッチ師が入ると、レフィナードトムはいななき、彼の手を探り始めた。というのも、ブルリッチ師がいつもそこにホワイト・チョコレートを持っていたのを、再会するのは2年半ぶりだったにもかかわらず、覚えていたからである。


 さて、話は変わるが、クローン馬の使用は競馬の世界で禁止されている。種牡馬と繁殖牝馬の自然な交配で誕生した競走馬しか出走は認められていない。しかし、ポロの世界では当たり前に行なわれている技術である。世界最高のポロ・プレーヤーと称されるアドルフォ・カンビアーソ選手がクローン馬作成のパイオニアであり、彼はポロ愛好家でクレストビュー・ジェネティクスの社長であるアラン・ミーカー氏の支援を受け、2010年にアルゼンチンで初めてクローン馬を誕生させた。


 レフィナードトムが亡くなる直前、レフィナードトムのクローン馬が誕生した。この馬は競馬には関われない。しかし、他の競技なら許可が下りる。したがって、3冠馬のクローン馬は、レフィナードトムが埋葬されているロケ・ペレスにある農場で飼われ、サンティアゴ・ブラキエール氏の下でポロ競技用の種牡馬となる予定である。


■ レフィナードトムのクローン馬

写真:La Nación

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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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