
木下 昂也(Koya Kinoshita)
南米競馬における鞭ルール
競馬に鞭は欠かせない。馬を加速させるためだけでなく、危険回避のためにも必要である。
しかし、目的はどうあれ、行為だけをとらえれば「馬を叩くこと」である。鞭の使用と動物愛護のバランスを取らなければならない。昨今の動物愛護精神の高まり(もしくは、批判の声には否が応でも耳を傾けなければならない風潮)もあり、鞭の使用に関する議論は競馬史上もっとも激しくなっているのではないだろうか。
国際競馬統括機関連盟(IFHA)は『国際合意第32条A』において鞭の使用基準を定めている。だが、それが世界共通ルールというわけではなく、細部に関しては国や地域によって差がある。
欧米やアジアの鞭ルールを知っている人は多いだろう。これらの国のルールが世界基準のように扱われることもある。フランスがこうすれば世界もこうする、アメリカがああしたから世界もああした、というように。
では、南米ではどのような鞭ルールを採用しているのか? 知っている人はほとんどいないだろう。そこで今回は、南米における鞭の使用に関するルールについて調べてみた。誤りや古い情報が含まれているかもしれないのはご容赦願う。
南米競馬機構による推奨
南米競馬における鞭ルールを根本から支えるのが、南米競馬機構(OSAF)が2019年8月と2020年3月に発表した『鞭の使用に関する南米競馬機構による推奨(Recomendación de OSAF sobre el uso de la fusta)』である。これは大きく2つの内容に分かれている。鞭の形状に関するルールと、鞭の使用に関するルールである。
【鞭の形状について】
南米競馬機構では、鞭は各国の競馬委員会の認可を受けたものを使用しなければならないと定めている。その鞭は、長さ、材質、衝撃吸収パッドの使用など、馬に必要以上の刺激や損傷を与えない形状と構造でなければならない。具体的に何センチなどというのは各国・各競馬場の裁量に委ねられている。
したがって、騎手が馬具店で購入した鞭をそのままレースで使うことはできない。後に述べるが、南米では鞭は競馬場から提供されるものを使用する場合が多い。
競馬委員会から認可を受けた鞭のことを「フスタ・レグラメンタリア(Fusta reglamentaria)」という。直訳すれば「規定の鞭」である。
【鞭の使用について】
使用に関しては以下の規則が推奨されている。
・ レース前の使用の禁止。
・ 1レースにつき最大12発まで。
・ 最後の直線での使用に限る。
・ 馬が怪我をするほどの使用の禁止。
・ 過度に力を入れて叩くことの禁止。
・ 馬の頭や頭付近への使用の禁止。
・ 馬の肩より上の部位へ打つことの禁止。
・ 馬の脇腹への使用の禁止。
・ 鞭を打っても反応がない馬への使用の禁止。
・ 勝利や入着の見込みがない馬への継続的な使用の禁止。
・ 勝利や着順が明らかな場合での使用の禁止。
・ ゴール板を過ぎてからの使用の禁止。
また、これら規則はプロの騎手だけでなく、見習い騎手や競馬学校生も含めて適用されるべきであるとしている。不正な使用、悪質な使用は制裁の対象となり、各国の競馬委員会は鞭の使用に深く注意を払わなければならない。
OSAFで推奨されている鞭ルールを要約すると次のとおりである。
・ 認可された鞭(=規定鞭)を使用すること。
・ 最後の直線で12発まで。
基本的にこの2つが、南米競馬における鞭の使用における原則と考えてもらっていい。
しかし、あくまで推奨である。これに合わせましょうという提案であり、強制力はない。そのため、国や競馬場によって違いがある。次はその違いについて見ていく。
各国のルールの違い
【規定鞭について】
鞭に関して細かいルールを定めているのがチリである。国家競馬上級委員会(Consejo Superior de la Hípica Nacional)が定めた『チリ競馬規約(Reglamento de Carreras de Chile)』には、馬の運動能力を高める、もしくは下げることのないよう、認可を受けた鞭しか使用できず、それ以外の鞭を使った場合は騎手免許が取り消される、との記載がある。
先ほどから何度も登場している認可された鞭、すなわち、規定鞭(フスタ・レグラメンタリア)とはいったい何か?
チリのサンティアゴ競馬場では『鞭についての規則(Reglamento de la Fusta)』が2018年1月1日から適用されている。それによると規定鞭は、
・ 競馬場から支給される。
・ 素材はファイバーグラスなど柔軟性のあるもので、持ち手はゴム製。
・ 色は黒。
・ 全長76cm、叩く部分の長さは18cmで幅2.5cm。
でなければならないとされている。
同じくチリのチレ競馬場でも『競馬に携わる者(Profesionales de la Hípica)』の中で似たような規則が定められている。
・ 馬の安全と愛護のため、騎手が使用する鞭はチレ競馬場から提供される。
・ 鞭はパテントレザーで裏打ちされたファイバー素材が用いられ、色は黒である。
・ 全長76cm、持ち手の部分が35cm。
・ 先端にはスポンジやゴムにレザーを貼った衝撃吸収材が用いられる。
ところで、1つ気になるのが76cmという長さである。これはチリ独自のものではない。たとえば、日本でも鞭の長さは77cm未満と定められている。76cmというのが国際規格となっているらしい。
アルゼンチンでも、ブエノスアイレス州公営賭博省が2015年に出した『決議番号101/15番』において、「鞭は柄の部分が60cmを、叩く部分が15cmを超えてはならない」と定められた。
ブラジルでは、2012年3月7日に出された『競走規約(Código Nacional de Corridas)』において、「競馬委員会が認可した鞭のみを使用できる」と決められた。続けて2013年1月15日のブラジル・ジョッキークラブの決議では、OSAFの推奨に適応するため、2013年3月29日から長さ76cmの"Pro Cush Flat Whip"のみ使用が許可されることとなった。
■ Pro Cush Flat Whip

【回数制限について】
OSAFは12発までの使用を推奨している。だが、サンティアゴ競馬場では1レースにつき15発までとされている。2発ごとに少なくとも2完歩を空けなければならず、また、最後の200mは5発までである。2歳戦の場合はより厳しく、1レースにつき10発まで、最後の200mは5発までである。
ブラジルでは、2019年3月19日にブラジル・ジョッキークラブが12発までに使用を制限した。違反した騎手には罰金、もしくは、8日から30日の騎乗停止が科される可能性がある。
その他の国では明白な回数規定は見当たらなかった。OSAFに従って12発までか、回数制限はないと思われる。しかし、これはあくまで主観だが、そもそも鞭を過剰に連打(30発など)する騎手はいない。
【その他の制約について】
形状と回数以外にも、鞭の使用に関するルールが存在する。チリではその点も細かく明記されている。
・スタートしてから100mは鞭を使ってはいけない。
・レース前、ゲートの中、レース後の使用禁止。
・鞭の先端が必ず下を向かなければならない。
・勝利が確実な場合は使ってはいけない。
・失速している馬に強く使ってはいけない。
・走行中、他の馬に当ててはいけない。
・2頭の間にスペースがない場合、振りかぶって叩いてはいけない。
これらを違反すると、1回目は戒告、2回目は騎乗停止1日、3回目は騎乗停止2日、4回目は騎乗停止3日が科される。また、重賞競走やリステッド競走で違反した場合には、制裁に加えて罰金が追加される。
ペルーでも『競走規約(Reglamento de Carreras)』において、スタートしてから100mは鞭を使ってはいけないというルールがある。加えて、最初の100mは進路変更も認められない。違反した場合は罰金となり、5回繰り返すと1週間の騎乗停止が科される。また、他の馬を鞭で叩いた場合には、騎乗馬の着順が最下位に降着となり、騎手は12週間の騎乗停止、もしくは騎手免許剥奪となる。
ウルグアイの『競走規約(Reglamento de Carreras)』では、「鞭は、過剰または不適切であることなく、節度を持って使用する必要がある」と書かれている。馬の頭や頭付近への使用は認められず、また、鞭に反応のない馬や、明らかに勝機がない馬にも使用してはならない。
ブラジルでも、鞭は馬を従わせたり追うためにのみ使用することができ、過度、過大、不必要な罰を与えることは厳禁であると明記されている。要は、常識の範囲内で使いなさいということである。
南米における鞭ルールのまとめ
・南米競馬機構が鞭の使用に関して推奨を出している。
・国、競馬場ごとに違いがある。
・材質、色、長さ、衝撃吸収パッドなどの条件を満たした規定鞭を使用する。
・使用回数は10発~15発。
・常識的に考えてやっちゃいけないことはやるな。
南米の鞭ルールってどうなの?
では、実際どのくらい厳密に取り締まられているのだろうか?
最近の事例を見ると、10月13日にブラジル・ジョッキークラブが発表した制裁では、ヘンダーソン・フェルナンデス騎手が17発と15発の使用で、ウェスレイ・カルドーゾ騎手が17発の使用で罰金を科せられた。10月16日にチレ競馬場が発表した制裁では、ウーゴ・ヒメネス騎手が最初の100mで鞭を使用したため罰金が科された。10月15日から18日の開催にかけてペルーのモンテリーコ競馬場でも、最初の100mで鞭を使ったことによる罰金が10件あった。違反は細かく見られていると言っていいだろう。
しかし、いずれも騎乗停止ではなくて罰金、それもあまり重くない罰金である。個人的な見解になってしまうが、南米では鞭ルールを厳格に守るよりも、競走馬の能力を引き出すことのほうが重視されているように思う。たとえば、ゴール前で大接戦になったが、すでに鞭を12発打ったので使わず、その結果数cmの差で負けたということになれば、逆に怠慢騎乗とみなされて厳しすぎるほどの制裁が科されるだろう。ファンからの批判も降り注ぐに違いない。
現状の鞭ルールに不都合は見られない。騎手からも不満の声が聞こえてこないので(鞭のこと以上に低すぎる賞金やボロボロの設備への不満が大きい)、「規定鞭の使用」と「12発まで」という制限で当面落ち着くだろう。動物愛護精神が今後さらに高揚すれば、規制が強化されることはありえるだろうが、鞭の禁止ということはありえない。とりわけ、アルゼンチンではデストレーサス(Destrezas)やヒネテアーダ(Jineteada)という馬を使った伝統競技で鞭を使うため、仮に鞭が禁止されれば、それすなわち文化の消失を意味する。
■ デストレーサス
だが、ブラジルでは不穏な空気が漂っている。2021年6月の『連邦官報(Diário Oficial da União)』の中で気になる記載を見つけた。「鞭は自分自身や他の騎手の安全確保のためにのみ使用することができる。騎手は鞭を使って馬を刺激し、速度を上げることができるが、馬を叩いてはいけない」。現状では、ブラジルの騎手は普通に鞭を使っている。このあたりがどうなったのか、もしくはどうなっていくのか、今後も注目していきたい。
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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