• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

日本と凱旋門賞の呪い

"Japón y la maldición del Arco"

https://onlyturf.wordpress.com/2020/04/17/japon-y-la-maldicion-del-arco/

最終閲覧日:2020年4月19日



 もし日本の馬が凱旋門賞を勝利する日が訪れたら、日本競馬と競馬ファンは、まるで2010年7月11日にスペインがイニエスタのゴールを祝ったときのように、その勝利を祝うに違いない。過去20年における日本馬の参戦を振り返ると、勝利をつかむ寸前までいった4頭の馬が頭をよぎる。


 最初の1頭はエルコンドルパサーである。父にキングマンボ、母父にサドラーズウェルズを持つ良血馬としてケンタッキーで生産され、3歳時には重賞を5勝(原文ママ。正しくは4勝)をあげた。その中にはNHKマイルCとジャパンCという2つのGⅠが含まれている。日本の最優秀3歳牡馬に選出され、もし凱旋門賞に出走する日本代表馬がいるとしたら、このキングマンボの息子が筆頭だった。1999年、エルコンドルパサーはヨーロッパに旅立ち、凱旋門賞を目標にしてフランスを拠点とした。1800mのイスパーン賞ではクロコルージュの2着に入ると、サンクルー大賞典とフォワ賞を勝ち、日本は凱旋門賞勝利を夢見た。レース当日、エルコンドルパサーは1番枠からハナを切ったが、残り100m地点で偉大なるモンジューの前にひれ伏し、短アタマ差(原文ママ。正しくは1/2馬身差)敗れた。いわゆる、岸にたどり着く直前で溺れ死んだのである。2着に敗れた者は誰の記憶にも残らないと言われるが、このキングマンボの息子は偉大な競走馬であり、おそらく日本調教馬史上もっとも優秀な馬の1頭である。


 エルコンドルパサーの凱旋門賞が日本競馬にとって悲劇だったとしたら、ディープインパクトの凱旋門賞は悲劇などという言葉では言い表せないものだった。日本の3冠馬は、半兄ハーツクライ(原文ママ。もちろん違う)に敗れた2005年の有馬記念以外は全勝で凱旋門賞に挑戦した。エルコンドルパサーと違うのは、ディープインパクトは凱旋門賞の前にフランスで前哨戦を走らなかった、つまり、ディープインパクト唯一の海外でのレースが凱旋門賞だったのである。単勝オッズ9/4で1番人気に支持された。レースは8頭立てとなり、うち3頭がアンドレ・ファーブル厩舎の馬だった。2005年の凱旋門賞の勝ち馬ハリケーンラン、コロネーションCの勝ち馬シロッコ、そして、パリ大賞典の勝ち馬レイルリンクである。結果は私の2歳の息子でさえも知っている。ディープインパクトは名手パスキエ騎乗のレイルリンクの前に敗れただけでなく、レース後にイプラトロピウムという気管支拡張薬の陽性反応で出て、3位入線だったが失格処分が下された。これにより、ハリケーンランが3着に繰り上がりとなった。日本競馬史上最高の馬の1頭はただレースに敗れたのではなく、日本中に恥をかかせた。数日後、フランスギャロは悪意を持って薬物検査をしたのではないと発表しなければならなかった。ディープインパクトはその後ジャパンCと、前年ハーツクライに敗れて逃した有馬記念を優勝して引退した。GⅠ7勝と、日本最高峰のものをすべて手にしての引退だった。我々の前からあまりにも早くいなくなってしまった競走馬の、そして種牡馬の傑作である。


 2010年はナカヤマフェスタの出番だった。2歳時にはデビューせず(原文ママ。正しくは2歳時に2戦2勝)、クラシックシーズンも失望を味わうことが多かった。4歳時に1マイル3ハロンのGⅠ宝塚記念を勝利すると、ロンシャン競馬場に現れた。ディープインパクトのように凱旋門賞に直行したのではなく、かといってエルコンドルパサーのようにフランスに拠点を置いたのでもなく、フォワ賞に挑んでダンカンの2着に入った。次走が凱旋門賞である。10月の第1週に行なわれ、出走馬にはフランス2000ギニーとジョッケクルブ賞の勝ち馬ロペデベガ、サンタリラ賞とディアヌ賞の勝ち馬サラフィナ、パリ大賞典の勝ち馬のベーカバド、エプソム・ダービーの勝ち馬で凱旋門賞も勝つことになるワークフォースなどがいた。最後の直線でアクシデントがあったが(これによりプラントゥールが失格になっている)、ナカヤマフェスタとワークフォースの見応えある一騎打ちが繰り広げられた。日本は99年のエルコンドルパサーのときのように、またもや岸にたどり着く直前で溺れ死んだ。さらに悪いことに、鞍上もエルコンドルパサーに騎乗していた蛯名正義だった。


 翌年、日本からナカヤマフェスタとヒルノダムールの2頭が挑戦したが、悲しみも喜びもなく終わった。だが2012年、日本からディープインパクトに匹敵する競走馬がやってきた。それがオルフェーヴルである。オルフェーヴルは重賞8勝、うちGⅠ5勝、3冠馬であり2011年の年度代表馬という実績を掲げてパリの地を踏んだ。鞍上にスミヨンを迎えて挑んだフォワ賞では、ファーブル厩舎に所属するサンクルー大賞典の勝ち馬ミアンドルを下し、順調なスタートを切った。日本は凱旋門賞制覇を夢見た。日本人も大挙してフランスに押し寄せた。2012年の凱旋門賞は18頭立てとなり、イギリス2000ギニーと2ヶ国のダービーを制したキャメロットがなるべくして有力馬に推されたが、レースでは何ら目立つことなく終わった。そして、何が起こったか? スミヨンに導かれたオルフェーヴルは後方からレースを進めると、直線入り口では日本馬の初勝利だけでなく、素晴らしいショーが見られることを予感させてくれる位置取りになった。しかし、直線半ばで馬がラチのほうによれ始め、スミヨンは矯正しようとしたが数メートル分ロスしてしまい、その結果、ペリエ騎乗の単勝オッズ33/1ソレミアに差し切りを許してしまった。この日本競馬にとっての敗北は、世界の競馬史上においてもっとも痛ましい敗北の1つとして歴史に刻まれた。しかし、我々スペイン人競馬ファンにとっては喜びであった。なぜなら、ソレミアを管理するカルロス・ラッフォン調教師はスペイン人だからである。


 1年後、オルフェーヴルは再び凱旋門賞に挑戦した。オルフェーヴルは、エプソム・ダービーの勝ち馬ルーラーオブザワールド、パリ大賞典の勝ち馬フリントシャー、ジョッケクルブ賞の勝ち馬インテロ、そして、ディアヌ賞とヴェルメイユ賞の勝ち馬であり、完璧な成績を残すことになるフランスの王女トレヴを差し置いて、最有力馬に推された。この年の敗北は前年ほど痛ましいものではなった。トレヴが3着までに6馬身差をつける完勝をおさめた。


 今年はおそらくディアドラが凱旋門賞に挑戦し、勝ち負けになるだろう。1つ確かなことは、もし日本馬が凱旋門賞を勝利する日が訪れたら、私はそれを祝う。なぜなら、凱旋門賞を制するに相応しい者がいるとしたら、それは日本だからである。


----------

木下 昂也(Koya Kinoshita)

Twitter : @koyakinoshita24

G-mail : kinoshita.koya1024@gmail.com

最新記事

すべて表示