• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

誰も知らない競馬の奇跡:アクトンとロネオ

競馬不毛の地ポルトガル


 ヨーロッパは競馬が盛んである。しかし、その言葉が唯一当てはまらない国がある。ポルトガルである。「なぜポルトガルだけが?」という疑問に答えるために、まずはポルトガル競馬の歴史について簡単に触れる。


 "Equijar2.0" というスペインの競馬情報サイトによると、ポルトガルで最初に競馬が行なわれたのは1868年のこと。ポルトガル南東部の町エヴォラで行なわれたレースだという。なお、当時のポルトガルは『ポルトガル王国』である。1874年にはポルトガル最初の競馬場がリスボン西部の地区ベレンに造られた。他のヨーロッパ諸国と同様、ポルトガルでも競馬が栄えていくかに思われた。


 状況が一変したのは1930年代、つまり、アントニオ・サラザールが独裁体制を敷いてからである。当時、競馬はポルトガル王国や貴族と深い繋がりのある競技であった。サラザールは王国時代を想起させるあらゆる痕跡を消すため、競馬を禁止した。禁止期間は独裁政権が1974年のカーネーション革命によって倒されるまで続いた。この間、ポルトガルでの競馬開催は地方で行なわれる草競馬程度にとどまった。これがポルトガルを競馬不毛の地にした最大の原因である。


 革命によって民主化が成され、競馬の禁止が解除されたものの、すぐに競馬再開とはいかなかった。あまりにも長い禁止期間による競馬産業へのダメージは大きく、人々の頭から「競馬」という競技がすっかり抜け落ちていた。結局、競馬が再開したのは1990年代に入ってからであり、ポルトガル・ジョッキークラブが創設されたのも1997年と最近のことである。


 現在、ポルトガル・ジョッキークラブは競馬の再興に努めている。しかし、2019年は11開催、2020年は9開催にとどまり、また競馬よりもトロットレースのほうが人気があることから、ポルトガルが競馬不毛の地から脱却するには相当な時間を要するだろう。


 ポルトガルは競馬が盛んではない。競馬産業で生計を立てるのは極めて難しい。では、ポルトガル人が騎手や調教師として活動するにはどうしたらいいか? 国外に出るしかない。地理的な近さ、言語的な近さ、そして競馬一流国ではないということから、隣国のスペインが狙い目になる。


 リカルド・ソウザ騎手、ティアゴ・マルティンス調教師など、今やスペイン競馬ではポルトガル人がお馴染みとなった。しかし、ポルトガル人がスペイン競馬に参戦するようになったのは、1人のパイオニアの活躍が大きい。ポルトガル ⇒ スペインの流れを作った人物。それがマリーノ・ゴメス騎手である。



競馬の神様に微笑まれた騎手


 1987年にポルトガルで生まれたマリーノ・ゴメスは、2008年12月14日、スペインのアンダルシア競馬場で騎手デビューを飾った。ニエンナ(Nienna)というマウリ・デルシェール調教師の管理馬に騎乗して7着だった。待望の初勝利は2009年6月28日。マドリードにあるサルスエラ競馬場の芝1800mをベルダーナ(Verdana)で制した。


 2009年は12勝でリーディング10位、2010年は23勝で7位、2012年は16勝で8位と、マリーノ・ゴメスは毎年のようにリーディング上位に入る若手騎手として期待された。2013年は彼にとって最高の1年となった。26勝とキャリア最高の勝利数をあげただけでなく、6月30日にサルスエラ競馬場で行なわれたスペイン最大の競走マドリード大賞をアクトン(Achtung)で1着入線したのである(※レース後の検査で禁止薬物フェニルブタゾンが検出されて失格)。


 このマドリード大賞で競馬の神様がマリーノ・ゴメスに微笑んだ。マドリード大賞が発走するわずか5時間前、アクトンを管理していたロベルト・ロペス調教師が白血病のため42歳の若さで亡くなった。ファンだけでなく競馬関係者も含めた誰もがアクトンに勝ってほしいと願っていた。しかし、誰もアクトンが勝つとは思っていなかった。アクトンはこれまでビッグレースを勝ったことがなく、近走も不振で、出走12頭中のブービー人気である単勝42.20倍の伏兵にすぎなかったからである。


 だが、スペイン最大手の新聞"El País"が書いたように「その日の午後は何か特別で、何か魔術的なことが起こった」。アクトンはこれまでの不振が嘘のように直線鋭く伸び、見事1着でゴールしたのである。ゴール後、マリーノは胸を叩いて天を指差し、悲願のマドリード大賞制覇をロペス調教師に捧げた。「ロベルトはいつも私を助けてくれた。今日のレースでも支えてくれた」彼が涙ながらにインタビューに答えると、競馬場から大きな拍手が沸き起こった。


 日刊紙 "El Periódico" は、「もし競馬がこの国でサッカーと同じくらい人気があれば、明日の朝にでも映画監督がサルスエラ競馬場での出来事を脚本にするだろう」と称した。2013年のマドリード大賞は、100回以上の開催を誇る同競走の歴史において、もっとも感動的なマドリード大賞としてスペイン競馬史に刻まれている。


■ 2013年奇跡のマドリード大賞



引退、闘病、調教師へ


 マリーノ・ゴメスは2015年も19勝をあげてリーディング4位に入り、順調に騎手人生を歩んでいた。しかし、突然の悲劇が彼を襲う。癌を宣告されたのである。闘病のため騎手を引退せざるをえなくなった。2017年12月6日、ライトコネクション(Right Connection)でピネーダ競馬場のダート2200m戦を制し、これが騎手としての最後の勝利、スペイン通算158勝目となった。最終騎乗は同年12月17日、アンダルシア競馬場でキャプテンハドック(Captain Haddock)に騎乗して2着だった。最後のパドックに向かうマリーノを騎手仲間が花道を作って迎えた。


 マリーノ・ゴメスは病と闘いながら調教師に転身した。調教師デビューは2018年3月4日のサルスエラ競馬場。このときも、仲間たちから拍手で迎えられた。同年7月5日、サルスエラ競馬場で行なわれたダート1900m戦をペトロシアン(Petrosian)で制し、調教師としての初勝利を達成した。


 しかし、癌は彼の身体を蝕むのをやめてはくれなかった。2021年1月21日の深夜、マリーノ・ゴメスは33歳の若さで亡くなった。競馬不毛の地ポルトガルからスペインにやってきて騎手となり、成功し、仲間から愛された人物の死に、スペイン競馬中が悲しみに暮れた。



奇跡のラストラン


 マリーノ・ゴメスは亡くなる直前、もしロネオ(Roneo)がレースを使える状態なら、1月29日にフランスのポー競馬場で行なわれるダート2400m戦に登録してほしいとお願いした。マリーノから馬の管理を引き継いだロベルト・アオン調教師は、遺志を継いでロネオをポー競馬場4Rに出走させることを決めた。


 ロネオの鞍上に指名されたのはリカルド・ソウザ騎手。2018年にスペイン・リーディングを獲得したトップジョッキーである。彼もまたポルトガル人であり、マリーノ・ゴメスが切り開いた道をたどってスペインで騎手になった。それだけでなく、マリーノが指導した愛弟子である。マリーノの調教師初勝利をプレゼントしたのもリカルド・ソウザである。そんな愛弟子が調教師マリーノ・ゴメスのラストランを任された。


「緊張している。大きな責任を感じている。レース中にどのような感情を抱くか分からない。しかし、マリーノが天から助けてくれるだろう。もし私が何かマズいことをしでかせば、天から降りて叱りに来てくれるはずだ。マリーノにとってロネオは特別な馬である」と、リカルド・ソウザは述べた。


 ロネオはロックオブジブラルタル産駒のフランス産馬である。フランスでデビューしたもののまったく歯が立たず、スペインに移籍してきた。スペインでは5勝をあげたが、重要なレースでの勝ち星はなし。ここ3走は再びフランスのレースを走ったものの、15着、10着、10着と惨敗続き。いわば、まったく勝負にならない駄馬だった。


 運命のゲートが開いた。ロネオとリカルド・ソウザはハナを奪い、ダート2400mの長丁場を軽快に逃げた。しかし、4コーナーを回ったところで手応えが悪くなり、後続に飲みこまれそうになる。誰もがこのままズルズルと後退していくのを覚悟した。


 だが、この日再び「何か特別で、何か魔術的なこと」が起こった。リカルドが右鞭を入れて激しいアクションでロネオを追い続けると、残り100mでまるで別の馬に変身したかのようにもう一伸びし、見事1着でゴール板を駆け抜けた。競馬の神様がまたもマリーノ・ゴメスに微笑んだ。まったく走っていなかった人気薄の駄馬が奇跡を起こしたのである。ゴールの瞬間、リカルド・ソウザは天を指差し、こみ上げてくる熱いものを抑えるように胸に手を当てた。


「マリーノをはじめ全員が望んでいたことを成し遂げられた。とても感動している。レース中に何度もマリーノのことが頭をよぎったし、良い騎乗ができるようにマリーノが力を貸してくれた。ロベルト・アオンはロネオを素晴らしい状態に仕上げてくれた。私の騎手人生はこれからも続いていく。良い騎手になれるように、大きなレースを勝てるように努力していく。しかし、ポー競馬場の単なる1レースが人生最高のレースになるとは思っていなかった」と、リカルド・ソウザはレース後に語った。


 ロネオの勝利はスペイン競馬界に大きな感動を与えた。SNS上ではマリーノ・ゴメス、リカルド・ソウザ、そしてロネオを称える投稿があふれた。スペイン競馬メディア "Pronoturf" はレースを次のように振り返った。


「ロネオはスーパークラスの馬ではない。しかし、今日は名馬のようにターフを駆け抜けた。ロネオは彼にとってのGⅠ競走を優勝したのであり、チャンピオンとして我々の記憶に刻まれるだろう。ロネオとリカルド・ソウザが成し遂げたこと、そしてロネオとリカルド・ソウザ自身のことを我々は誇りに思う。マリーノはきっと『ナイスコンビ!』と微笑んでいるに違いない」


 2021年1月31日、マドリードのサルスエラ競馬場で2021年最初の開催が行なわれた。この日のメインレースは『マリーノ・ゴメス追悼競走』と名付けられた。レース前のパドックでは彼の遺影が披露され、1分間の黙祷が捧げられた。レースを勝ったボルハ・ファヨス騎手はゴールの瞬間、天に指を突き立てて仲間の死を嘆いた。「友よ、君がいなくて寂しい」


 競馬の神様はいるか? こんな風に上手くいけばいると思うし、望んだとおりの結果にならなければいないと思う。競馬の神様がいるからこそ、マリーノ・ゴメスは2度も奇跡を起こせたのだし、競馬の神様なんていないからこそ、彼は癌を患って引退を強いられたのである。しかし、時として競馬には不思議な力が働く。不思議な偶然が起こる。その力や偶然を「競馬の神様」と名付けることはできるのではないだろうか。アクトンと演じたマドリード大賞での感動的な1着入線。愛馬ロネオと愛弟子リカルド・ソウザの奇跡の一撃。マリーノ・ゴメスは2度も競馬の神様に微笑まれた名騎手・名調教師としてスペイン競馬史に刻まれた。



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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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