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誰も知らない競馬の奇跡:片目の牝馬とベテラン厩務員の献身

この記事は、カルロス・デルフィーノ記者が2020年3月22日にアルゼンチンの日刊紙『ラ・ナシオン(La Nación)』に掲載した"La yegua que resultó más veloz que el rayo que la dejó tuerta y atormentada"を翻訳・一部改編したものになります。

 

隻眼の馬


 片方の目しか見えない競走馬がいる。日本でもっとも有名な隻眼馬は、カナダのマイティハート(Mighty Heart)だろう。2020年、日本人の福元大輔騎手を背にカナダ2冠馬に輝いた。アメリカのパッチ(Patch)は、隻眼でありながらの2017年のケンタッキー・ダービーに出走した。また、武豊騎手原案の漫画『ダービージョッキ―』でも、シャドームーンという隻眼の馬が登場する。


 以前、田辺裕信騎手は『サンケイスポーツ』で次のように述べた。


「どちらかの視力がない、隻眼の競走馬がいるのを知っていますか。実際に乗ってみると、視力がある馬たちと全く同じように走ることができるんです。正直、驚かされました。どうして問題なく走ることができるかは、正確なことは分かりません。目が見えないぶん、他の感覚が研ぎすまされているんだと思います。このあたりは、本能というか、生命力なのでしょうか。隻眼の馬には過去に重賞戦線で活躍した馬もいますし、僕が乗ってきた馬からは、普通に走るには全く問題はないと感じています」

https://race.sanspo.com/keiba/news/20200520/etc20052004540001-n1.html 最終閲覧日:2021年4月25日

 なるほど、隻眼であることの苦労は計り知れないが、競走馬として致命的なハンデにはならないようだ。


 これから紹介する隻眼の牝馬は、パッチやマイティーハートとは事情が異なる。マイティハートは事故により、パッチは病気により片目を失ってしまったが、この馬は幸運にも片目だけで済んだ馬である。彼女の名前をドルミーアソラ(Dormía Sola)という。



雷の悲劇


 ドルミーアソラは2015年9月22日に、アルゼンチンのラ・レジェンダ・デ・アルコ牧場で産まれた。父ヴァイオレンス、母モノセルス、その父ロードカーソンという血統。ロベルト・ビグナッティ氏が運営するフアン・アントニオの所有馬となり、サンタフェ州の小さな町アルテアーガにあるフアン・アントニオ牧場で育成されることになった。


 2016年9月、ドルミーアソラが1歳のときである。彼女は他の牝馬たちと一緒に放牧に出されていた。群れの中には、後にGⅠエストレージャス・ディスタフを無敗で制してアメリカに移籍する名牝ラレノレータ(La Renoleta)もいた。突然、空が黒ずんできたかと思うと、激しい雷雨がフアン・アントニオ牧場を襲った。いわゆるゲリラ豪雨である。雷が落ちた。不運にも、稲妻は木でも建物でもなく、群れがいる囲い場の地面を直撃した。


 嵐が止むと、牧場スタッフは急いで放牧地へ向かった。彼らが目にしたのは悲惨な光景だった。落雷によって2頭が息絶えていた。その2頭のそばでは、ドルミーアソラが硬直していた。電流の影響で唇と左半身が麻痺し、頭と耳がねじれていた。加えて、彼女は左目の視力を失った。雷の一閃はまたたく間に馬たちの未来を奪った。


 だが、このように言えなくもない。死んだ2頭のそばにいたにもかかわらず、ドルミーアソラは奇跡的に生き残った。片目を失うだけで済んだのである。



運命の出会い


 ドルミーアソラは獣医の診断を受けた。困難な状況なのは誰の目にも明らかだった。彼女の左半身には痺れが残った。また、唇が麻痺してしまったため、食事を摂ることができなかった。


 だが、もっともダメージを受けたのは心だった。雷が間近に落ちた恐怖と、2頭の仲間を失ったショック。ドルミーアソラの精神はトラウマにとって衰弱し、人も馬も寄せつけなくなった。馬房では照明を叩き、壁や柵を蹴飛ばした。そうした奇行が身体の回復をも妨げた。人間も同じである。身体の傷より心の傷を癒すほうがはるかに難しい。ドルミーアソラは競走馬としてデビューするどころか、普通の馬に戻ることすら難しかった。


 しかし、フアン・アントニオ牧場の職員たちは彼女を見捨てなかった。ドルミーアソラはダニエル・セスマという厩務員に預けられることになった。セスマは馬と共に生きて50年という大ベテランである。彼に与えられた任務は単純かつ複雑だった。ドルミーアソラを回復させること。フアン・アントニオを運営するロベルト・ビグナッティ氏は、セスマに対して「もしドルミーアソラが元気になったら、あなたの所有にしていい」と約束した。ドルミーアソラにとって、これが運命の出会いだった。



セスマの采配①


 時間の経過と共に、ドルミーアソラは少しずつ落ち着きを取り戻した。セスマは最初の策を講じる。なによりも大事なのは、ドルミーアソラが生き物としての自信を取り戻すことである。


 2017年1月、セスマはドルミーアソラを同世代のグループではなく、1歳下の群れと一緒に放牧することにした。同年代のグループと混ぜると、痺れのせいで身体の成長が遅く、片目が見えないドルミーアソラが虐められ、餌を横取りされる心配があった。年下相手であればその危険性は低く、馬らしい生活を送ることができるのではないか。


 これが大当たりだった。ドルミーアソラは群れに溶けこむどころか、群れのリーダーとなった。また、放牧地でたくさん歩いたおかげで、緩かった身体が成長した。落雷の後遺症は隻眼を除いてほとんどなくなった。


 セスマは次のステップに移る。ドルミーアソラに人を乗せてみることにした。だが、彼は慎重を期した。自分が跨るのではなく、徐々に人の重みに慣れてもらおうと、体重の軽い乗り手を探した。選ばれたのは、ダニエル・セスマの13歳の息子ナチョ・セスマだった。


 いざナチョが跨ると、意外なことに、ドルミーアソラは非常に大人しかった。それどころか、気分良さげに走った。セスマは、彼女は走ることが好きなのだと気づいた。痺れの影響で頭を傾けた変なフォームで走るものの。ナチョによる馴致は上手くいった。驚きなのが、13歳の少年にとってこれが人生で初めての馴致だったということである。


 3ヶ月間の調教を経て、ドルミーアソラはビジャ・マリーア競馬場で競走馬としてデビューすることになった。ビジャ・マリーア競馬場はコルドバ州にある、いわゆる地方競馬場である。デビューというより、試運転と言ったほうが正しいかもしれない。調教の動きが良かったことからセスマは期待していたが、結果は振るわなかった。しかし、落雷によって仲間と片目と正気を失い、普通の暮らしすら危ぶまれていた馬が、競走馬になれるまで回復したのはほとんど奇跡である。


■ ドルミーアソラに騎乗する13歳のナチョ・セスマ

写真:La Nación https://www.lanacion.com.ar/deportes/la-yegua-resulto-veloz-rayo-tuerta-nid2345748/


セスマの采配②


 ドルミーアソラはビジャ・マリーア競馬場で2戦したが、勝ち星をあげることはできなかった。競走馬になれたからには勝たせてやりたかった。しかし、これまでのやり方ではレースで通用しないと分かった。


 ダニエル・セスマは再び策を講じた。ドルミーアソラをビジャ・マリーア競馬場から30kmの距離にあるバジェステーロに連れていくことにした。バジェステーロは人口5000人にも満たない小さな町で、セスマの生まれ故郷である。


 ドルミーアソラはバジェステーロの農場に放牧された。馬場ではなく農場である。ニワトリなどの他の家畜と一緒に1日を過ごした。食事のときと、彼女が入りたいと思ったときにだけ、セスマの母親の家にある馬小屋に入れた。初めてバジェステーロに来たとき、環境の変化に怯えてドルミーアソラは暴れた。そのため、セスマは馬房内のスペースを狭くして事故を防ぐため、小屋の中に古タイヤを吊るした。調教は町にある直線1500mの土の道で行なった。バジェステーロにはかつて鉄道が通っており、道はその名残だった。馬の世話はセスマに加えて、肉屋の主人ルベン・アストーリと、獣医学を専攻した地元の警察官ラウレアーノ・マルチソーネが担った。


 競馬場や牧場の施設と比べれば、お世辞にも恵まれた環境とは言えない。のどかすぎて競走馬にはふさわしくないとさえ思える。しかし、バジェステーロには競馬場でも牧場でも決して得られないものが1つだけあった。自由である。そして、悪夢に悩まされていたドルミーアソラがなによりも欲していたのが、自由で穏やかな生活だった。水を得た魚となった彼女は、体重が増えてみるみる成長した。


 2018年11月18日、線路跡で調教を積んだドルミーアソラはビジャ・マリーア競馬場に戻ってきた。エマヌエル・レタモーソ騎手を背に、14Rのダート700mに出走した。結果はなんと、40秒40のタイムで楽勝。雷で死にかけた馬が、ついに競走馬として初勝利をおさめた。セスマの采配はまたしてもピタリと当たった。


■ タイヤが吊るされたバジェステーロの馬房

写真:La Nación https://www.lanacion.com.ar/deportes/la-yegua-resulto-veloz-rayo-tuerta-nid2345748/


「それは我々の義務である」


 勝利は偶然だったのか、実力だったのか? セスマはそれを確かめるため、1ヶ月後の12月19日に、ドルミーアソラを再びビジャ・マリーア競馬場のダート700mに走らせた。同レースには主要競馬場――首都ブエノスアイレスにあるサン・イシドロ競馬場、パレルモ競馬場、ラ・プラタ競馬場の3場――で結果を残した馬も出走していた。しかし、2着のノーラ(Nora)に3馬身差をつける39秒90のタイムで快勝した。セスマはドルミーアソラの能力を確信した。


 ダニエル・セスマの計画はついに最終ステップまでたどり着いた。主要競馬場に殴りこむときが来たのである。2019年1月19日、ドルミーアソラはパレルモ競馬場6Rのダート直線1000mに出走した。8番枠から好スタートを切って外に進路を取ると、レース後半でも力強く伸び、1番人気のレイナフィローサ(Reina Filosa)に1馬身差をつけて、見事1着でゴール板を駆け抜けた。弱々しい彼女の姿はどこにもなかった。すっかり悪夢から覚めた。


■ パレルモ競馬場での勝利


 新型コロナウイルスの影響でアルゼンチン競馬が半年の中断を強いられた間に、所有者はダニエル・セスマから別の馬主に替わったものの、ドルミーアソラは2021年になった今も現役の競走馬として活躍している。主要競馬場だけの成績で7戦3勝。落雷で心身共に衰弱し、片目の視力を失った地方馬が、主要競馬場の馬たちを相手に3勝もあげたとは驚くべき快挙である。もともとGⅠ馬ラレノレータと同じ群れをなしていた馬である。競走馬としての素質は高く、隻眼は競走能力に影響を及ぼさなかった。


■ 視力のない左目には白い覆いがつけられている


 ダニエル・セスマはこう語る。


困難を抱えた馬を世話し、救い、正しく成長させること、それは我々のような馬に携わる人間にとっての義務である。その結果、良い馬になってくれれば素晴らしいことだ。ドルミーアソラはおそらく並の競走馬だろう。重賞を勝てるような馬には思えない。しかし、我々にとって彼女は世界一の牝馬である。彼女はほんの1歳のとき、死に打ち勝ったのだから」


 雷よりも早く走る馬。ドルミーアソラはそう称されることがある。片目を失った牝馬と、馬への情熱にあふれた厩務員。奇跡のような復活劇。



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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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Koya Kinoshita

スペイン語通訳

スペイン競馬と中南米競馬を隅々まで紹介&徹底解説する『南米競馬情報局』の運営者です。

全国通訳案内士というスペイン語の国家資格を所持しています。

東京在住のインドア派。モスバーガーとミスタードーナツが好きです。

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