• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

暴力に支配されたアルゼンチン競馬:GⅠジョッキークルブで何が起こったのか?

 10月15日にサン・イシドロ競馬場で行なわれたGⅠジョッキークルブをめぐり、アルゼンチンで大騒動が起こっている。マスコミが大々的に取り上げ、競馬場にはテレビクルーが入った。いったい何が起こったのか?



事の発端


 10月15日、アルゼンチンのサン・イシドロ競馬場でGⅠジョッキークルブ(芝2000m - 3歳)が行なわれた。このレースはアルゼンチン3冠競走の第2戦目になっている。


 スタッド・マミーナが所有するエルムシカル(El Musical)が出走した。この馬は1冠目のGⅠポージャ・デ・ポトリージョス(アルゼンチン2000ギニー)の勝ち馬で、ジョッキークルブで2冠に挑んだ。


 直線では逃げ切りを狙うエルムシカルと、ポージャ・デ・ポトリージョスの2着馬ナタン(Natán)の一騎打ちとなった。この争いをエルムシカルが1/2アタマ差しのいで優勝した。


 しかし、レース後にナタンの陣営からエルムシカルの進路取りについて異議申し立てがあった。裁決委員はこの異議を認めてエルムシカルを2着に降着、ナタンの繰り上がり優勝とした。


■ レース映像


■ パトロールビデオ



降着判断


 映像を見れば、エルムシカルが外にヨレてナタンに接触したのは明らかである。2頭の着差が1/2アタマ差という僅差だったことを考えれば、降着は妥当だろう。


 しかし、エルムシカルを擁護することもできる。アルゼンチンでは馬をまっすぐ走らせることに重きを置いていない。大事なのは勝つこと。内にいる逃げ馬が外から追い込んできた馬に馬体を合わせにいく、もしくは、外から追い込んできた馬が内に切れ込んで粘る逃げ馬に馬体を合わせにいくというのはごく自然な騎乗である。


 エルムシカルが外に行ったのは、斜行ではなく伸びてきたナタンに合わせにいったからと解釈することもできる。アルゼンチンではこの程度の斜行、この程度の接触で降着になっていないケースもある。そのことは少なくない競馬記者が認めている。


 今回の斜行は見る人によって判断が異なる微妙な事例となった。降着という人もいるし、降着は厳しいという人もいる。日本でもジェンティルドンナとオルフェーヴル、ブエナビスタとローズキングダムのときは盛り上がったように、際どい判定で議論になるのは仕方がない。しかし、どれだけ不満を抱こうと裁決委員の決定を尊重するしかない。


 とはいえ、しょせん1件の斜行・降着である。議論が起こるのは避けられないとしても、テレビや新聞で取り上げられるほどの大騒動にまで発展する必要がない。なぜヒートアップしてしまったのか?



理由① 潰えた3冠


 エルムシカルは1冠目の覇者である。ジョッキークラブを勝てば2冠馬となり、3冠への期待が高まる。


 アルゼンチンでは1996年のレフィナードトム(Refinado Tom)以来、26年も3冠馬が誕生していない。したがって、3冠馬誕生が心待ちにされている。


 エルムシカルが1着でゴールした瞬間、馬主だけなくファンも「今年こそ!」と3冠馬誕生を期待した。その期待が際どい判定で裏切られた。裏切られたという思いに馬券が外れた怒りが加わり、「裁決委員にレースを盗まれた」という感情に発展した。



理由② 陰謀論


 エルムシカルの馬主はマミーナである。エルムシカルで勝ったポージャ・デ・ポトリージョスが馬主として初めてのGⅠ勝利だった。管理するのはミゲル・カフェーレ調教師。GⅠはこれまで6勝している。


 一方、ナタンの馬主はラス・モンヒータスである。2014年から馬主となり、すでにGⅠを9勝している。管理するのはカルロス・エチェチュリー調教師。2007,08,15年のアルゼンチン最優秀調教師で、GⅠは通算83勝もあげている。


 したがって、「エルムシカルが降着させられたのは、アルゼンチン・ジョッキークラブが競馬界で大きな力を持っているナタンの陣営に忖度したからだ」、「裁決委員はナタン陣営からの圧力に屈した」、「普段は流していない後方からの映像を流すなんて、きっとナタンの陣営が要求したに違いない」などという陰謀論が巻き起こった。ファンだけでなく、スタッド・マミーナもそのような主張を展開した。


 言うまでもなく、そんな陰謀論はバカげている。ラス・モンヒータの所有馬も裁決にかかったことがあるし、エチェチュリー調教師もドーピングで資格停止処分を受けたことがある。裁決は誰に対しても平等である。だが、陰謀論は一部の層から好かれるし、降着に納得できなかった人間にとっては最良の言い訳になってくれる。



理由③ 馬主の蛮行


 際どい判定での降着を素直に受け入れられる馬主は少ないだろう。多くの馬主は抗議文を出すか、裁決と話し合いの場を設けようとするだろう。


 降着が決まった瞬間、マミーナの関係者は裁決室に向かって走り出した。裁決室のドアを執拗に蹴り、止めに入った競馬場関係者や警備員に暴言と侮辱を吐くだけでなく、暴行におよんだ。ついには裁決室の窓ガラスを足で蹴って割り、着順掲示板によじ登って着順の番号札を叩き落とした。


 こうしたマミーナの蛮行はすべて映像に記録されている。なぜ現行犯逮捕されなかったのかが不思議である。


■ マミーナの蛮行


 アルゼンチン・ジョッキークラブはすぐさまマミーナの馬主資格を停止すると共に、マミーナの関係者をサン・イシドロ競馬場に立ち入ることを禁じた。GⅠジョッキークルブの後に行なわれた第15レースにはマミーナの所有馬エージャマイ(Ella Mai)が出走予定だったが、強制的に出走取消となった。



理由④ 馬主の声明


 マミーナはアルゼンチン・ジョッキークラブから3日以内の弁護・弁明の機会を与えられた。翌16日に早くも声明を発表した。6段落におよぶ長文である。


 声明の内容をまとめると、「エルムシカルの勝利は明白である」「不正義によって理由もなく合法な勝利を取り消された」「所有馬の勝利を守るために法律が許す範囲であらゆる手段を講じる」「我々の権利を表明するために対話を求める」といったものである。


 マミーナは声明の中で自身の蛮行についてはいっさい触れず、謝罪もしなかった。それどころか、サン・イシドロ競馬場の裁決を再度非難した。第三者の目から見て、暴力を行使した側が法律や対話を持ち出すのはなんともおかしな話である。


 また、マミーナの代表であるディエゴ・エルナン・ガルシーア氏はテレビに出演し、改めてエルムシカルの勝利が明白であることと自身の正当性を視聴者に訴えた。それだけでなく、ナタンに騎乗していたアドリアン・ジャネッティ騎手に不正があったと告発した。勝利のためならなりふり構わずという強硬姿勢を崩していない。


■ マミーナの声明

マミーナの声明



まとめ


 なぜ1件の斜行・降着がこんなにも大騒動に発展したのか? 原因をまとめると以下のようになる。


  • 難しい降着判断

  • 人気馬の降着による馬券への影響

  • 3冠の夢が潰えた失望

  • 陣営力の差という陰謀論

  • 馬主の暴言・暴行・破壊行為

  • 競馬場による馬主資格停止処分

  • 馬主による謝罪のない声明



今後どうなる?


 スタッド・マミーナは裁判も辞さない姿勢だそうだ。しかし、司法の裁判官が降着が正しいか否かを決められるはずがない。競馬の裁判官は裁決委員である。ナタンの優勝がひっくり返ることはありえない。


 サン・イシドロ競馬場およびアルゼンチン・ジョッキークラブは、過熱するマミーナの言動に冷静に対応している。「競馬という競技と観客の安全を守るために最善を尽くす。暴力や攻撃を行なう者の立ち入りは認めず、今後も同様の行為には厳正に対応する」と明言した。マミーナから謝罪の言葉が述べられなかったため、マミーナの馬主資格停止と競馬場出禁を撤回することはないだろう。


 今回の騒動でもっとも被害を受けたのは他でもない馬である。2000ギニーで1着、GⅠジョッキークルブで降着になりはしたものの1着入線と、エルムシカルが世代No.1の馬であることは疑いようがない。今年のアルゼンチン3歳世代は牡馬が豊作と言われていることから、その能力は歴代の名馬に匹敵するものかもしれない。


 しかし、所有者が資格停止になった以上、サン・イシドロ競馬場では出走することができない。パレルモ競馬場とラ・プラタ競馬場の対応次第では、エルムシカルは今後アルゼンチンで出走することができなくなってしまう。


 抜け道としてアメリカ移籍が考えれられる。だが、マミーナもディエゴ・ガルシーア氏もアメリカの馬主資格を持っていないと思われる。マミーナの資格が回復されるか、別の馬主に売却されないかぎり、エルムシカルはこのまま飼い殺し状態に陥る。


 アルゼンチン人は熱い。とりわけスポーツに関しては。その熱さが賞賛や感謝や尊敬に向けば、無関係な人でも思わず涙がこぼれそうになるほど素晴らしい光景を創り出せる。しかし、その熱さが不満や侮辱や非難に向けられれば、目を当てられない光景が生み出される。今回は彼らの熱さが後者に傾いてしまった。



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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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