
木下 昂也(Koya Kinoshita)
チリ・ダービーで何が起こったのか?
2022年2月6日、チリのバルパライソ競馬場でGⅠエル・デルビー(芝2400m - 3歳)が行なわれた。チリのダービーにあたる、チリでもっとも大事なレースである。ダービー馬の称号に輝いたのが、牝馬のネヌファルアスール(Nenúfar Azul)である。2014年のソラーリア(Solaria)以来となる8年ぶりの牝馬によるダービー制覇だった。
しかし、この競馬の祭典が関係者、メディア、ファンを巻き込んだ大論争に発展している。いったいチリ・ダービーで何が起こったのか?
ダービー前夜
今回の騒動を理解するうえで、ダービー出走馬の戦前の評価を知る必要がある。
ルッキンアットラッキー産駒のイナダマス(Y Nada Más)という牝馬が1強と見なされていた。ここまでGⅠを3勝。12月のオークスを制して3歳牝馬の頂点に立った。残る2つのGⅠでは3歳牡馬を蹴散らした。単勝オッズも2.1倍と圧倒的な1番人気に支持された。
2番手以下は大混戦となった。ネヌファルアスールが7.3倍で2番人気、ダートGⅠ2勝のヴィータダマンマ(Vita Da Mamma)が7.7倍で3番人気、前哨戦の勝ち馬ガンベレッティ(Gamberetti)が7.8倍で4番人気と続いた。
つまり、イナダマスの相手になりそうな馬は見当たらなかった。ダービーの注目は「誰が勝つか?」ではなく、「イナダマスがどんな勝ち方をするか?」だった。
レース
スタートしてから多少のごちゃつきはあったものの、レースは順調に進んでいった。最後の直線では、内にガンベレッティ、真ん中にイナダマス、外にネヌファルアスールという3頭の争いになった。
ここで事件が起こった。まず、ネヌファルアスールが内に切れ込んでイナダマスの進路に被さってきた。ほぼ同時にガンベレッティも外に動き、イナダマスが挟まれて進路を失った。2頭はその後も進路を修正することなく、ぶつけては離れ、ぶつけては離れを繰り返し、イナダマスは少なくとも3回は挟まれた。
これでイナダマスは1着争いから完全に脱落。ネヌファルアスールがゴール直前でガンベレッティを1/2アタマ交わして優勝した。2着入線はガンベレッティ、3着入線はイナダマスだった。
■ レース映像
裁決
ネヌファルアスールとガンベレッティ。2頭によるイナダマスへの妨害は誰の目にも明らかだった。正面からの映像を見ても、2頭は完全にイナダマスの進路を塞いでいる。
しかし、斜行で降着となったのは2着入線のガンベレッティだけだった。鞍上のラファエル・システルナス騎手は17日間の騎乗停止処分を科された。ネヌファルアスールは降着もなくそのまま優勝。鞍上のハイメ・メディーナ騎手に対する制裁もなかった。
イナダマスは3着から2着に繰り上がった。だが、競馬場にいたファンの怒りはおさまらなかった。ダービー馬としてウィナーズサークルに引き上げてきたネヌファルアスールを待っていたのは、ブーイングと罵声だった。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため競馬場への入場者が制限されていたのが唯一の救いで、もし満員だったら暴動が起きていたかもしれない。
大論争
ネヌファルアスールに降着処分がなかったことで、チリ・ダービーは場外戦にもつれた。バルパライソ競馬場の Instagram には「泥棒」「マフィア」「恥知らず」「クソ裁決」「反スポーツマンシップ」などという書き込みがされた。
メディアもバルパライソ競馬場の決定を非難する論調が多数だった。たとえば、チリの競馬メディア『エル・トゥルフ(El Turf)』は、「裁決委員はいったい何を見ていたのか?」と書き、アルゼンチンの『トゥルフ・ディアリオ(Turf Diario)』は「イナダマスは斜行の被害者である。イナダマスが勝つべきレースだった。恥ずべき裁決」と痛烈に批判した。
イナダマスを管理するフアン・パブロ・バエサ調教師は、「言葉が見当たらない。すべてが悔しく悲しい。イナダマスは勝利に値した。もう1つ残念なことは、今日のようなことが世界に発信されてしまうことである。私は本当に悲しい」と述べた。
イナダマスの鞍上を務めたゴンサロ・ウジョア騎手は怒りがおさまらなかった。「私はダービーを盗まれた。本当にイライラする。私が何か悪いことをしたのか? 自分にミスがあったのなら負けを認める。だが、今回はそうではない。2頭に邪魔された。両側から挟まれてこの馬の最高のパフォーマンスは引き出せなかった。勝者は私だと思っている。私に1着が与えられるべきだった。幸運にも、イナダマスが強いハートを持っていたから転ばなかったが、もし転倒して落馬していたらどうなっていたかを考えたことがあるのか? 私には家族がいる。無事に家に帰れてよかった」
4つのガソリン
ここまで場外戦が激しくなったのには4つの原因がある。
1つ目、明らかに裁決がおかしかった。
どの世界の誰が見ても、ガンベレッティだけでなくネヌファルアスールも進路妨害を犯した。見方によっては、ネヌファルアスールのほうが悪質だったとも捉えられる。もし斜行がなければイナダマスが勝っていたとは言わない。しかし、勝っていた可能性が高い。末脚が武器の馬であり、あれだけ進路を塞がれても僅差の3着入線だった。忘れてはならないのは、これはダービーである。イナダマスはダービーを奪われた。
2つ目、イナダマスが圧倒的な人気だった。
イナダマスは、いわばアーモンドアイのような存在である。現在チリにいる馬の中でもっとも強く、ファンからの人気も高く、多くの人がイナダマスを頭にした馬券を買っていた。それが不可解な判定で紙屑になったのだから、ファンの怒りが大きいのは当然である。アーモンドアイがジャパンCで同じような形で負けたと想像してほしい。
3つ目、ネヌファルアスールとイナダマスが同じ馬主だった。
ネヌファルアスールとイナダマスは共にドン・アルベルト牧場の生産・所有馬である。したがって、ネヌファルアスールを勝たせることで、ドン・アルベルト牧場に利する何かがあったのではないかという憶測が出た。たとえば、「イナダマスはすでに充分な実績を持っており、海外に高値で売れる。だから、今回はネヌファルアスールにダービー馬の称号をつけて、この馬も海外に高く売ろうとしている」という内容である。
4つ目、関係者の対応が最悪だった。
バルパライソ競馬場は批判コメントを煽るように、「感動的なダービーでした。あなたのお気に入りの馬が勝ちましたか?」と書いてレース映像を投稿した。これがファンの怒りに油を注いだ。
ネヌファルアスールの陣営も余計なことを言いすぎた。同馬を管理するフアン・カビエレス調教師は、斜行はガンベレッティが引き起こしたものであると責任をなすりつけただけでなく、ファンは冷静になるべきだと訴えた。鞍上のハイメ・メディーナ騎手も、「裁決が決めたのならそれを受け入れるべき。レースにはずる賢さも必要だ」と述べた。
ドン・アルベルト牧場も公式声明を出した。要約すると、
・牧場の利益どうのこうのは関係ない。
・裁決委員の決定を尊重して受け入れる。
・イナダマスが1着だったらこんな状況にはなっていない。
・ネヌファルアスールの関係者に対する誹謗中傷は許されない。
・バルパライソ競馬場の仕事に感謝する。
ドン・アルベルト牧場にとっては所有馬が所有馬を邪魔したのだから、被害者面することもできた。もしくは、この件について何も発言する必要はなかった。しかし、ネヌファルアスールを擁護する側、つまり、裁決を支持する側に回ったので印象が悪くなった。
【まとめ:チリ・ダービーで何が起こったのか?】
・絶対勝つと思われていたイナダマスが2頭による斜行で敗れる。
・2着入線の加害馬ガンベレッティが降着になる。
・1着入線の加害馬ネヌファルアスールは降着にならず優勝。
・イナダマスの陣営、メディア、ファンが裁決を非難・激怒。
・ネヌファルアスールの関係者は対応を誤った。
・大論争。
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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