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チリ人のフェルナンド・トロ騎手がアメリカ競馬殿堂入り

 1960年代から80年代にかけてアメリカで活躍したチリ人のフェルナンド・トロ騎手が、4月25日にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。チリ人騎手がアメリカ殿堂入りするのは、2007年のホセ・サントス騎手以来2人目の快挙である。チリ関連では他にも、2006年にチリ産馬のクーガー(Cougar)が殿堂入りしている。トロ騎手は殿堂入りの報告に涙して喜んだ。


 フェルナンド・トロ氏は1941年1月31日にチリの首都サンティアゴで生まれた。1956年、15歳のときにチリのサンティアゴ競馬場で騎手として初勝利をあげた。チリ時代は2度の騎手リーディングに輝き、現在ではGⅠ格になっているイポドロモ・チレを1963年のフスティシエロ(Justiciero)、1964年と65年のジュンベル(Yumbel)で3度優勝した。1964年にはチリ3冠競走の2戦目であるセントレジャーをパルデアセス(Par De Ases)で勝利した。


 1966年にアメリカに移籍。1990年に引退するまで、北米通算3555勝をあげた。1975年にはジョージ・ウルフ・メモリアル・ジョッキー・アワードを受賞している。 


 1984年、トロ騎手は第1回ブリーダーズカップ・マイルをジョン・ゴスデン調教師が管理するロイヤルヒロイン(Royal Heroine)で優勝した。ロイヤルヒロインとは1983年のハリウッド・ダービー、1984年のメイトリアークS、ビヴァリー・ヒルズHでも白星をあげている。


 1986年にはエストラペイド(Estrapade)に騎乗してアーリントン・ミリオンを優勝した。エストラペイドとのコンビでは1985年のサンタ・アナHや1986年のビヴァリー・ヒルズHを勝利した。



 間接的にではあるが、フェルナンド・トロ騎手は日本競馬に欠かせない人物である。


 1980年、トロ騎手は1頭の牝馬に騎乗してGⅡゲームリーHを優勝した。その牝馬の名をウィッシングウェル(Wishing Well)という。サンデーサイレンスの母親である。


 また、1974年のGⅠサンタ・マルガリータ・インヴィテーショナルHでは、チリ産馬のティズナ(Tizna)という馬を勝利に導いた。ティズナは引退後にアメリカで繁殖牝馬となり、ティズリー(Tizly)という牝馬を産んだ。これがキタサンブラックの3代母にあたる。


 サンデーサイレンスの母とキタサンブラックの4代母は、いずれもトロ騎手の手綱によってビッグレースを制したのである。


☞☞☞ キタサンブラックのルーツである南米の祖先を振り返る


■ 1984年のブリーダーズカップ・マイル



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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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【Mail】 kinoshita.koya1024@gmail.com

【HP】 https://www.keiba-latinamerica.com/

Koya Kinoshita

スペイン語通訳

スペイン競馬と中南米競馬を隅々まで紹介&徹底解説する『南米競馬情報局』の運営者です。

全国通訳案内士というスペイン語の国家資格を所持しています。

東京在住のインドア派。モスバーガーとミスタードーナツが好きです。

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