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華麗なるフットボール一族、ビクトリア・アロンソ騎手がサウジアラビアの騎手招待競走に選出


ビクトリア・アロンソ
写真:Victoria Alonso(@vickyaloonso) https://twitter.com/vickyaloonso/status/1429743586615169024

 2月24日にサウジアラビアで行なわれる騎手招待競走に、スペインの女性騎手であるビクトリア・アロンソ騎手が選出された。昨年もスペインからニエベス・ガルシーア騎手が招待されており、2年続けてスペイン人女性騎手が同競走に挑むこととなった。


「この招待競走に参加できるなんて夢が叶ったような気持ちです。世界の一流騎手たちと一緒に騎乗できるという素晴らしい経験を存分に味わいたいと思います。ベストを尽くす準備はできています。私がこの競走に参加できるように動いてくれたすべての人に感謝したいです」と、アロンソ騎手はコメントした。



 ビクトリア・アロンソ騎手は2002年3月29日に、スペイン北部の町サンタンデールで生まれた。アロンソ家はとある世界では非常に有名な一族である。その世界とはフットボールである。


 アロンソ騎手の祖父はマルコス・アロンソ・イマスという。通称マルキートス。彼は1954年からレアル・マドリードに所属し、当時世界最高の選手アルフレード・ディ・ステファーノやフェレンツ・プスカシュらと共にプレーした。スペイン代表にも選出された。


 その息子であるマルコス・アロンソ・ペーニャとセーサル・アロンソ・ペーニャもサッカー選手になった。マルコスのほうは主にFCバルセロナで活躍し、あのディエゴ・マラドーナと一緒に戦った。彼もまたスペイン代表となった。


 マルコス・アロンソ・ペーニャの息子をマルコス・アロンソ・メンドーサという。彼は2016年からイングランドのチェルシーでプレーし、2022年に父も所属したFCバルセロナに移籍した。マルコス・アロンソ・メンドーサもスペイン代表に選ばれたことで、アロンソ家は3代にわたってスペイン代表を輩出するという偉業を成し遂げた。


 アロンソ家は競馬にも深いつながりがあった。アロンソ騎手の祖父にあたるマルコス・アロンソ・イマスは大の競馬好きで、プスカシュらと共同で競走馬を所有していた。デリリアム産駒のウイスキー(Whisky)という名前の牡馬である。


 競馬好きは2人の息子たちにも受け継がれた。とりわけセーサル・アロンソ・ペーニャは、サッカー選手になるか競馬の世界に入るか悩んでいたという。結局マドリードにあるラーヨ・バリェカーノに所属してサッカー選手となったが、現役引退後にもう1つの夢を叶えた。現在はスペイン競馬で調教師をしている。


 このセーサル・アロンソ・ペーニャを父に持つのが、サウジアラビアの騎手招待競走に参加することになったビクトリア・アロンソ騎手である。ちなみに、アロンソ騎手には父親と同名のセーサルという兄がおり、彼もまたアマチュア騎手としてスペインで騎乗している。



 ビクトリア・アロンソは幼いころから馬に乗っており、馬術競技をやっていた。2017年に乗馬を辞めた。だが翌年、アマチュア騎手である兄のセーサルについていってサン・セバスティアン競馬場を訪れたとき、「どうして馬に乗ることを辞めてしまったのか。私もレースに出てみたい」と思い直し、アマチュア騎手になるために厩舎で働くことを決めた。


 2019年5月11日、ビクトリア・アロンソはアマチュア騎手としてデビューする。ラレード海岸競馬でロッチフィールド(Lochfield)という馬に乗り、結果は7頭立ての5着だった。


 同年10月27日には、ロンドンコーリング(London Calling)に乗ってマドリードのサルスエラ競馬場で初騎乗を果たした。「説明できない気持ちでした。いつも観客としてパドックの向こう側にいたのに、今ではこっち側で自分が観客から見られているなんて。満員の競馬場で自分が主役になったような雰囲気が大好きです。これは言葉では言い表せなくて、経験しなければ分からない感情です」と、彼女はマドリード初騎乗の感想を述べた。


 記念すべき初勝利は2020年8月21日に訪れた。サン・セバスティアン競馬場2Rをドリームスタート(Dream Start)で制したのである。9月10日にはクイックアーティスト(Quick Artist)でマドリード初勝利をおさめ、この年は2勝をあげた。


 しかし、2020年のスペイン競馬は新型コロナウイルスによって大きな打撃を受けた。アロンソ騎手は「騎手としてのリズムをつかみ始めていたところでした。そこにコロナが直撃して、大きな挫折を味わいました。これは自分だけでなくて、他の関係者も同じだったでしょう。年明けからの数ヶ月はとても辛く、再び競馬をできるのか大きな不安に苛まれていました」と、このときの苦境をメディアのインタビューで振り返っている。



 2021年7月22日、順調に勝ち星を積み上げていったビクトリア・アロンソ騎手は大きな決断をする。アマチュア騎手からプロ騎手に騎手免許を変更したのである。本当は年末まで免許変更を待つつもりだった。しかし、良い結果を残せていることに加えて、アマチュア騎手のレースは斤量が重く、体重の軽いアロンソ騎手は錘をたくさん持たならないという不利から解放されたかった。


「プロ騎手になるのは不安でしたし、学業を中断するのも乗り気ではありませんでした。母親が弁護士なので、私も法律を学びたかったのです。ですが、チャンスは今しかないと思いました。今では決断にとても満足しています」


 プロ騎手になってから1ヶ月後の8月22日、ビクトリア・アロンソ騎手は快挙を成し遂げる。サン・セバスティアン競馬場で行なわれるレースとしては2番目に重要な競走であるゴビエルノ・バスコ(芝1600m - 3歳以上)を、シティーヘント(City Gent)に騎乗して優勝したのである。大逃げで不良馬場のラチ沿いをギリギリまで攻め、最後はハナ差粘るという奇策を実らせての大金星だった。


 スペイン競馬はグレード制ではなくカテゴリー制を採用している。レースはカテゴリーAからカテゴリーDまでで格付けされる。2021年のゴビエルノ・バスコは新型コロナウイルスの影響もあってカテゴリーBとされていたが、本来はカテゴリーA競走である。女性騎手によるカテゴリーA級の優勝は、2020年にマドリードのサルスエラ競馬場で行なわれたカテゴリーA競走ドゥケ・デ・アルブルケルケをノライ(Noray)で制したニエベス・ガルシーア騎手以来スペイン競馬史上2人目、サン・セバスティアン競馬場では史上初という快挙である。


 余談だが、このとき写真判定の結果に納得できなかった2着プリンスハムレット(Prince Hamlet)のクリスティアン・デルシェール調教師は、採決委員に対して「お前たちの勝たせたい馬が勝つんだろ?そいつを勝たせるためならゴール板だって動かすんだろ?」などと暴言を吐き、300ユーロの罰金を課された。


■ ゴビエルノ・バスコ


 2021年は27勝をあげてスペイン騎手リーディングの6位と躍進。2022年も22勝をあげてリーディング7位に入った。また、2021年はフランスで1勝、2022年はフランスで3勝をあげており、ビクトリア・アロンソ騎手の通算勝利数は現時点で55勝となっている。


 祖父の代から3代にわたってサッカー・スペイン代表を輩出した華麗なるフットボール一族。そして、祖父の代から3代にわたる競馬好き。そんなアロンソ家からまた1人、国際舞台に立つ人物が現れた。


「家族がトップレベルのスポーツイベントに参加し続けていることを私はとても誇りに思います。家族の大半がプロ・サッカー選手であるだけでなく、みんな大の競馬好きです。私のことも誇りに思ってくれています」と、ビクトリア・アロンソ騎手は述べた。


 祖父はアルフレード・ディ・ステファーノと、叔父はディエゴ・マラドーナと、そして本人はランフランコ・デットーリと同じフィールドに立つ。そんな一家は世界を見渡してもアロンソ家しか存在しない。



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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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【Mail】 kinoshita.koya1024@gmail.com

【HP】 https://www.keiba-latinamerica.com/

Koya Kinoshita

スペイン語通訳

スペイン競馬と中南米競馬を隅々まで紹介&徹底解説する『南米競馬情報局』の運営者です。

全国通訳案内士というスペイン語の国家資格を所持しています。

東京在住のインドア派。モスバーガーとミスタードーナツが好きです。

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