
木下 昂也(Koya Kinoshita)
ジャマイカ3冠競走の歴史とデータを紹介
この記事はジャマイカの競馬メディア『クイックギャロップ(QUICKGALLOP)』に掲載された "BLUE VINYL SEEKS SUPREME DISTINCTION – MUST READ TRIPLE CROWN FACTS AND FIGURES" を参考に作られています。
1921年、ジャマイカでダービーが創設された。記念すべき第1回ジャマイカ・ダービーは4頭で争われ、バックダンサー(Buck Dancer)というスターライト産駒のジャマイカ産馬が勝利した。1921年から1930年まではダート2000mだったが、1931年からダート2400mに変更となり、現在もこの条件で行なわれている。
ちなみに、ジャマイカ・ダービーでは同着が2回ある。1934年はクロイスター(Cloister)とフェルラ(Ferula)が、1944年はピンノキオ(Pinnochio)とファストネット(Fastnet)が1着同着だった。
ジャマイカ・ギニーズが創設されたのもダービーと同じ1921年である。第1回は9頭立てで行なわれ、スランダー(Slander)というスロックモートン産駒のジャマイカ産牝馬が優勝した。ギニーズは1958年までダート1700mで、1959年から1972年まではダート1800m、1973年からダート1600mとなった。
ジャマイカに3冠競走ができたのは1924年である。この年、ジャマイカ・セントレジャーが創設された。1924年から1966年まではダート2800m、1967年から1979年まではダート2000m、1970年から1990年までは再びダート2800mに戻り、1991年からまたダート2000mとなった。
セントレジャー創設1年目、そしてジャマイカ3冠創設1年目から3冠馬が誕生した。スロックモートン産駒のジャマイカ産牡馬モンクレア(Mont Clare)が、ジャマイカ競馬史上初の3冠馬である。
ジャマイカ3冠の歴史は大きく2つに分かれる。キングストンにあったナッツフォード・パーク競馬場で行なわれていた1924年から1958年までと、セント・キャサリンにあるケイマナス・パーク競馬場で行なわれている1959年から現在までの2期である。
ナッツフォード・パーク競馬場では6頭の3冠馬が誕生した。
1924年 モンクレア(Mont Clare)
1926年 サラバンド(Saraband)
1930年 バイジョーヴ(By Jove)
1937年 マニームーン(Money Moon)
1939年 ジョージメタクサ(George Metaxa)
1950年のマークトゥウェイン(Mark Twain)
このうちマニームーンだけが牝馬である。
1973年、3冠競走に新たなレースが加わった。それがジャマイカ1000ギニーである。これにより、これまでは牡牝混合で行なわれていたジャマイカ・ギニーズが、1000ギニーは牝馬限定、2000ギニーは牡馬と騙馬限定と分けられた。両ギニーズの勝ち馬が、3冠を目指してセントレジャーとダービーで激突するという現在の構図が出来上がった。1000ギニー、2000ギニー共に斤量は57kgだが、セントレジャーとダービーでは牡馬が57kg、牝馬が55kgとなる。
なお、ダービーでは2度の同着優勝があるが、1000ギニー、2000ギニー、セントレジャーではハナ差決着はあるものの、同着は今まで1度もない。
ケイマナス・パーク競馬場では12頭の3冠馬が誕生している。
1981年 ロイヤルダッド(Royal Dad)
1987年 マンデーモーニング(Monday Morning)
1988年 リウチープー(Liu Chie Pooh)
1989年 ザヴァイスロイ(The Viceroy)
1992年 ミリグラム(Milligram)
1996年 ウォーゾーン(War Zone)
2000年 アイムサティスファイド(I'm Satisfied)
2002年 シンプリーマジック(Simply Magic)
2008年 アルサフラ(Alsafra)
2010年 マークマイワード(Mark My Word)
2017年 シーズアマンイーター(She’s a Maneater)
2019年 シュプリームソウル(Supreme Soul)
このうちシンプリーマジック、アルサフラ、シーズアマンイーターの3頭が牝馬であり、1000ギニー、セントレジャー、ダービーで3冠を達成している。
ここからはジャマイカ3冠にまつわる様々なデータを紹介する。
騎手でもっとも3冠達成を経験したのはウィンストン・グリフィス騎手(Winston Griffiths)である。ロイヤルダッド、リウチープー、ミリグラム、アイムサティスファイド、シンプリーマジックで5度も3冠優勝を成し遂げた。
グリフィス騎手には3冠に導いた馬がもう1頭いる。それがザヴァイスロイである。ザヴァイスロイは2000ギニーをイアン・スペンス騎手(Ian Spence)で勝ち、ダービーとセントレジャーをグリフィス騎手で勝利した。
非ジャマイカ人として3冠を達成した騎手は2人いる。トリニダード・トバゴ人のブライアン・ハーディング騎手(Brian Harding)と、パナマ人のディック・カルデナス騎手(Dick Cardena)である。ハーディング騎手は2008年にアルサフラを、カルデナス騎手は2010年にマークマイワードを3冠に導いた。
調教師では、フィリップ・フィーニー調教師(Philip Feanny)の5回が最多である。リウチープー、ザヴァイスロイ、ミリグラム、アイムサティスファイド、シンプリーマジックで3冠を達成した。
面白いのが1987年の3冠馬マンデーモーニングである。この馬はジャマイカ競馬史上唯一、2人の調教師で3冠を達成した。2000ギニーはスタンレー・フィンドレー調教師(Stanley Findlay)が、残りの2冠はイーノス・ブラウン調教師(Enos Brown)が管理した。騎手も2人になったのだが、こちらは2000ギニーとダービーはエヴァートン・ミラー騎手(Everton Miller)が、セントレジャーはパトリック・ベックフォード騎手(Patrick Beckford)が騎乗という分かれ方だった。
2回以上3冠達成を味わった馬主はいない。種牡馬ではイグゾティックトラヴェラー(Exotic Traveler)が2頭の3冠馬を輩出した。1992年のミリグラムと1996年ウォーゾーンである。
今年はブルーヴァイニル(Blue Vinyl)というバーンアイデンティティー産駒の牡馬がジャマイカ・ダービーで3冠に挑んだ。しかし、ニュークリアーウェイン産駒の牝馬アトミカの3着に敗れた。これで2022年のジャマイカ3冠競走は、ブルーヴァイニルが2000ギニーとセントレジャーの2冠、アトミカが1000ギニーとダービーの2冠と分け合った。2019年シュプリームソウル以来となる19頭目の3冠は翌年以降に持ち越しである。
QUICK GALLOP / Denzil Miller Jr.
■ 1988年ジャマイカ・セントレジャー
■ 1996年ジャマイカ・ダービー
■ 2022年ジャマイカ1000ギニー
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