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  • 木下 昂也(Koya Kinoshita)

ジョアン・モレイラ、かく語りき

この記事は11月30日にブラジルのサンパウロ・ジョッキークラブが放送した "Papo de Turfe - O Fantasma de Cidade Jardim está de volta" というジョアン・モレイラについての特番をまとめたものになります。筆者はポルトガル語に疎いため、正しい内容や情報は必ずご自身でご確認ください。

 

 

目次

 

騎手ジョアン・モレイラの誕生秘話


 すべては生まれ故郷のクリチーバから始まりました。兄と一緒に工場で働くことになりました。工場のマネージャーが家族の友人だったんです。マネージャーは私が馬が好きなことを知りました。


 当時、クリチーバのクソガキ連中の間で馬車の馬を盗むことが流行っていました。夜明けに盗んで乗り回すんです。それが自分と馬とのファーストコンタクトです。


 働いていた工場のマネージャーが私たちの『蛮行』を知りました。ある日、私はマネージャーに呼び出され「そんなことをするなら騎手になれ!」と言われました。それで、元騎手だった人物を紹介してくれたんです。


 私はその元騎手の家に呼ばれ、競馬で獲得したトロフィーを見せてもらいました。立派なトロフィーでした。それから元騎手が母親に連絡して、私が騎手になるのにふさわしい体型をしていると言いました。


 次にパラナー競馬学校のアマウリ・サントスという人物と出会います。競馬学校の定員に空きがあるから入らないかと誘われました。12日間かけて書類をそろえ、パラナー・ジョッキークラブに提出しました。しかし、アマウリ・サントスに「すまない、空きはもう埋まったんだ」と言われました。競馬学校には入れず仕舞いです。


 仕方がないので、従兄弟のトニャンがいたキグランヂ牧場で厩務員として働くことになりました。それが競馬界に入った瞬間です。16歳のときでした。


 厩務員として8ヶ月働きました。馬のことを学べたと思います。しかし、もう厩務員として働きたくはありませんでした。自分は馬に乗りたいと思っていたんです。


 そこで、牧場の調教師を務めていたジョゼー・シルヴァ、通称マジーニョと従兄弟のトニャンに「もうここでは働かない」と宣言しました。意味がないと思ったし、給料を貰っていませんでした。他に収入源もありませんでした。


 すると、マジーニョから「俺の馬が来週サンパウロで走るから見に行くか?」と誘われました。2001年のGⅠサンパウロの日です。


 サンパウロで様々な人と知り合い、見習い騎手になりました。ニルソン・リマ、イヴァン・キンターナ、カルロス・ガルシーアという調教師が自分にチャンスをくれました。


 彼らから「お前は大人しすぎる。お前は誰とも話したがらない。誰もお前を助けない。お前の乗り方は最悪だ」と怒られることもありました。しかし、彼らのおかげで見習い騎手を卒業してプロの騎手となるのに必要な勝利数に達することができました(※司会者によると、2022年11月30日時点でブラジル通算1043勝)



■ 2008年5月18日、ウイグール(Uigur)に騎乗してGⅠプレジデンチ・ダ・ヘプブリカを勝利。これがジョアン・モレイラの初GⅠ制覇となった。ウイグールは現在ウルグアイで調教師をしているアントニオ・シントラ調教師の管理馬。




ファンタズマ(亡霊)というあだ名について


 ホベルト・カゼーラ(※ブラジル最高の競馬実況者)から良いあだ名をつけてもらいました。


 2008年6月21日のGⅢジェネラル・コウト・ヂ・マガリャネスを勝ったときには『パパイ・モレイラ(Papai Moreira)=モレイラ・パパ』という名前で実況してくれました。4日前に子供が生まれたばかりだったんです。


 『ファンタズマ(Fantasma)=亡霊』という現在のあだ名は、2015年8月1日の1Rをジャンプレディー(Jump Lady)で勝ったときに初めてつけてもらいました。道中は後方にいたのにいつの間にか先頭に立っているという、自分のジョッキーとしての特徴を表してくれるとても嬉しいあだ名です。カゼーラには感謝しています。



■ パパイ・モレイラというあだ名がつけられた2008年6月21日のGⅢジェネラル・コウト・ヂ・マガリャネス。この4日前に子供が生まれたばかりだった。


■ ジョアン・モレイラはブラジルで『ファンタズマ(Fantasma)=亡霊』と呼ばれている。2015年8月1日の1Rで初めてそのあだ名がつけられた。




騎手人生で最高の瞬間


 エウタンベン(Eu Também)という馬で2006年11月11日にアルゼンチンのパレルモ競馬場で行なわれたGⅠナシオナル(アルゼンチン・ダービー)を勝ちました。外国のレースに人気馬として参戦するという初めての経験でした。


 アルゼンチンの競馬場は本当に荘厳だったことを覚えています。ダート2500mの長丁場。スピードがあって行きたがる馬だったので、最初の50mを上手く過ごせるかが鍵だと思っていました。


 1着でゴール板を駆け抜けたときは最高に幸せでした。騎手人生で最高の勝利の1つであり、もっとも記憶に残っている出来事の1つでもあります。コースから引き揚げると、陣営の人々が自分の名前を叫んでいました。抱擁をされて、抱きかかえられました。そんな経験は今まで味わったことがありませんでした。嬉しくて涙があふれたほどです。あれは決して忘れられない感情です。



■ 2006年にアルゼンチンのダービーを勝利。外国調教馬によるアルゼンチン・ダービー制覇はこのとき以来1頭も出ていない。




タペタってどうなの?


 2014年のドバイWCデーで2勝しました。アンバースカイ(Amber Sky)でアル・クオーツ・スプリントを、スターリングシティー(Sterling City)でドバイ・ゴールデン・シャヒーンを勝ちました。


 このときのメイダン競馬場はタペタでした。タペタという馬場は芝を走れる馬のほうが向いています。



モレイラが思う最高の騎手は?


 個人的な意見としては、競馬史上最高のジョッキーはフランキー・デットーリです。しかし、人それぞれ意見があると思います。その人が生きている時代によって誰が No.1 というのは異なりますし、プロ騎手の技量・力量の差というのはほんの少ししかありません。


 フランキー・デットーリは長きにわたる騎手人生で数々の国際的なレースを勝ち続けました。彼に匹敵するとしたらライアン・ムーアです。


 ジョルジ・ヒカルドの名前も出さないわけにはいきません。彼はブラジル競馬の象徴で、ブラジル競馬のアンバサダーでもあります。60歳になった今も精力的に騎乗しています。夜中の11時にリオ・デ・ジャネイロから飛行機でサンパウロに着いて朝の調教に乗り、午後にはレースに騎乗し、その日の終わりに飛行機でリオ・デ・ジャネイロに戻り、翌日にはリオ・デ・ジャネイロのレースに乗っている。我々ブラジル人騎手の教師であり、我々は彼のことを最大級に誇りに思わなければなりません。


 憧れだったジョッキーといえば、ジョゼー・アパレシード・ダ・シルヴァです。彼の騎乗スタイルや追いっぷりだけでなく、人柄も大好きなんです。


 もう1人忘れてはならないのがアルタイル・ドミンゴス。説明不要の名手であり、自分の理想です。ドミンゴスはジョッキーになるために生まれてきたような存在で、次に何が起こるのかを他の騎手よりも正確に予想できます。一緒に騎乗した中では、ドミンゴスが最大の壁だったと言っても過言ではありません。


(番組を見ていたアルタイル・ドミンゴスからメッセージが届く)

「モレイラ、お前がNo.1だ!」



■ フランキー・デットーリを世界最高の騎手と言うジョアン・モレイラ。




香港の制裁基準に苦労した


(番組に出演していたコメンテーターが、香港のレースではちょっとした動きで制裁を取られると発言したことについて)


 ルールの違いに適応するのは大変でした。同じブラジル人騎手のシルヴェストリ・ヂ・ソウザも苦労したように、自分も移籍して最初のころは多くの制裁を受けました。充分に注意を払うようになり、今では制裁基準が問題だとは思っていません。


 ルールの違いよりも苦労しているのは、馬の情報を手に入れることです。香港ではあらゆる情報をオンラインで入手しなければなりません。調教時計も獣医の診断も、すべてを机に座って調べる必要があります。それが自分にとっての悩みです。



記憶に残るサトノティターン


 日本の馬でも成功をおさめることができました。日本馬に乗ってドバイで勝つこともできました。日本の人たちはスポーツに対する情熱を持っています。


 そういえば、みなさんが絶対に知らないことを教えてあげます。日本で行なわれた騎手大会に優勝して、札幌競馬場に私の像が作られたんですよ。『ジョアジーニョ・モレイリーニャ=ちっちゃなジョアン・モレイラ』のレプリカ像です。


(映像を見ていた出演者が「これはいつの映像か?」と尋ねる)


 何ですかね……。(東京競馬場、サトノティターンで勝利したときのものですと司会者が教える)。ああ、このレースの映像はぜひみなさんに見てほしいです。これです、これ。でも、見せ場の大部分は終わってますね。この馬は外に行って内に行って、もう一回外に行ったんです。



■ サトノティターンで勝利した後のファンサービスの映像を見ながら日本について話すジョアン・モレイラ。彼にとっても印象深い勝利だった。




ジョアン・モレイラからファンへ


 まだまだ話すべきことがあります。フランスのこと、日本の免許習得のこと、オーストラリアでの騎乗、他の国際競走の勝利など、色々なエピソードが残っています。


 最後に少しだけ時間をください。


 自分ことをまるで宇宙人のように見てくる人がいます。でもそれは間違いです。私は他のどんな人ともまったく変わりません。傷つきやすい一面があります。センチメンタルにもなります。痛みも感じるし、涙も流します。自分はみなさんと同じ1人の人間です。幸運にも歴史を作れたのは、運命のおかげにすぎません。


 自分は競馬界にとてもポジティブな結果を与えられるという自信を持っています。競争心と責任感を持ち、自分ができる最高の形で戦います。もし自分が競馬界に貢献できないと分かれば、その場に立つようなことはしたくありません。しかし、身体の状態は良く、健康です。あなたたちが私に求めていることを、私に期待しているパフォーマンスを行なうと約束します。


■ メッセージ




最近のモレイラ写真集


 ブラジル競馬関連の Instagram アカウントには現在のジョアン・モレイラ騎手の写真があがっています。いくつか載せておきます。




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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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