• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

モンパルナスの歴史、サンデーサイレンスに刻まれるアルゼンチンの証

この記事は、アルゼンチンの競馬メディア『トゥルフ・ディアリオ(Turf Diario)』が2019年11月29日に発表した "La historia de Montparnasse, el legado argentino en Sunday Silence" を翻訳・一部改編したものになります。

 

フォルリやキャンディライドとの繋がりはないが、南米の遺伝子が大きく貢献した名馬であり、偉大な種牡馬。


 種牡馬の素材として、アルゼンチンの遺伝子は長年にわたって世界的に重要な役割を果たしてきた。たとえば、フォルリ(Forli)、キャンディライド(Candy Ride)、ロードアットウォー(Lord At War)である。彼らの名前は世界中の活躍馬の血統表でよく目にする。


 しかし、近20年においては、フォルリでもキャンディライドでもないアルゼンチン産馬が大役を担っている。おそらく知名度はあまり高くないだろう。その馬の名をモンパルナス(Montparnasse)という。日本で帝国を築き、今や世界中に影響を及ぼしているサンデーサイレンスの母ウィッシングウェル(Wishing Well)の母父である。


※サンデーサイレンスの母母父がアルゼンチン産馬モンパルナスであるということ。


 サンデーサイレンスは1989年にケンタッキー・ダービー、プリークネスS、BCクラシックを優勝し、その年のアメリカ年度代表馬に輝いた。その後は日本に送られ、吉田ファミリーが運営する社台スタリオン・ステーションで『血統の長』として君臨した。2002年に16歳で亡くなるまで、1995年から2008年にかけて種牡馬リーディングを獲得し、あらゆる記録を塗り替えた。ディープインパクトを代表に、フジキセキ、ステイゴールド、スペシャルウィーク、マンハッタンカフェ、ネオユニヴァース、ゼンノロブロイ、ダイワメジャー、ハットトリック、ゴールドアリュール、ハーツクライなどを通じ、サンデーサイレンスの圧倒的な影響力は健在である。


 話をモンパルナスに戻そう。モンパルナスは1956年にアルゼンチンのアルヘンティーノ牧場で産まれた。現役時代はベニート・ビジャヌエバを勝利し、1961年にはブラジル最大の競走であるブラジル(芝3000m)で2着に入るなど活躍した。アメリカに輸出後は、ヴァレディクトリーHで3着という実績を残した。


※ベニート・ビジャヌエバは現アルゼンチンGⅡ。ブラジルは現ブラジルGⅠ。ヴァレディクトリーHは現カナダGⅢ。


 血統的に見れば、モンパルナスはまさに宝石である。あまり種付け機会に恵まれなかったにもかかわらず、種牡馬として大きな成功をおさめられたのも不思議ではない。モンパルナスの父は、アリストファネス(Aristophanes)やセリムハッサン(Selim Hassan)と同じく、ハイペリオンを父に持つガルフストリーム(Gulf Stream)である。


 ガルフストリームは1955年、1958年、1959年とアルゼンチンの種牡馬リーディングを獲得し、特別競走の勝ち馬を50頭以上も輩出した。代表産駒には、1955年にカルロス・ペジェグリーニとブラジルを制したマンダンガー(Mangangá)、1958年に無敗の4冠馬となったマナンシャル(Manantial)などがいる。残念ながら、今日ではガルフストリームの父系は消滅してしまった。


※カルロス・ペジェグリーニは現アルゼンチンGⅠ。


 母系を見ると、モンパルナスはミニョン(Mignon)の仔である。ミニョンの産駒からは6頭が競走馬としてデビューし、ヘネラル・サン・マルティンやサン・イシドロを制したモンマルトル(Montmartre)、イグナシオ・F・コレーアスなどを勝ち、オークスでも2着になったマコンテス(Ma Comtesse)、ホセ・ペドロ・ラミーレスを勝ったミヌール(Mineur)など、うち4頭が特別競走の勝ち馬となった。


※ヘネラル・サン・マルティン、サン・イシドロは共に現アルゼンチンGⅠ。イグナシオ・F・コレーアスは現アルゼンチンGⅡ。ホセ・ペドロ・ラミーレスは現アルゼンチンGⅢ。


 モンパルナスは1962年にアメリカに輸出され、翌年アルゼンチンに帰国したが、1968年に再びアメリカのエル・ペコ・ランチ牧場に送られた。アルゼンチンでは産まれ故郷のアルヘンティーノ牧場で種牡馬となり、ベネズエラ最大の競走であるシモン・ボリーバルを勝利し、ベネズエラの年度代表馬に選出されたストレートウェイ(Straightway)、ブラジルの勝ち馬アルセナル(Arsenal)、アメリカで活躍したビッグショット(Big Shot)らを輩出した。アメリカではデルマー・ダービーの勝ち馬チャーリーブーツ(Charlie Boots)を産んだ。


※シモン・ボリーバルは現ベネズエラGⅠ。デルマー・ダービーは現アメリカGⅡ。


 興味深い血統関係がある。モンパルナスはヒラリー(Hillary)という種牡馬を父に持つ繁殖牝馬と相性が良かった。父モンパルナスと母父ヒラリーの組み合わせは、ハイペリオンの3×4というインブリードになるだけでなく、多くの場合でハイペリオンの母であるセレーネ(Selene)のラスムッセン・ファクターが現れた。


 父モンパルナスと母父ヒラリーの組み合わせからは、GⅡアメリカンHを勝ったモンマルトル(※モンパルナスの兄弟であるモンマルトルとは別の馬)、GⅢウィル・ロジャーズ・ハンディキャップの勝ち馬マデーラサン(Madera Sun)、GⅡデルマー・ダービーの勝ち馬モンテスパン(Montespan)といった活躍馬が産まれた。


 モンパルナスの孫には14頭のブラックタイプ競走の勝ち馬がいる。前述のウィッシングウェルに加えて、ラ・プラタ競馬場のGⅡポージャ・デ・ポトリージョスを勝ち、パレルモ競馬場のGⅠポージャ・デ・ポトリージョスでも2着になったコステージョ(Costello)や、アメリカのGⅠトップ・フライトHを勝ったファームスタンス(Firm Stance)などが挙げられる。ファームスタンスは後に、アルゼンチンのGⅠマイプーとGⅠシウダー・デ・ブエノスアイレスを勝ったレディースプリンター(Lady Sprinter)の祖母となった。


 ウィッシングウェルはGⅡゲームリーHとGⅢウィルシャーHを勝利し、70年代末から80年代前半にかけてカリフォルニアで活躍した。彼女の父であるアンダスタンディング(Understanding)は現役時代になかなかの成績を残したが、種牡馬としては目立った存在ではなかった。


 ウィッシングウェルにもモンパルナスとヒラリーのニックスが見える。ウィッシングウェルの母はモンパルナス産駒のマウンテンフラワー(Mountain Flower)で、この馬の母エーデルワイス(Edelweiss)がヒラリーの産駒なのである。


 ここで話はカリフォルニアの偉大な生産者ジョージ・ポープ・ジュニア氏に移る。彼は常に高額な種付け料を払うのを嫌い、自身が運営するエル・ペコ・ランチ牧場で自家生産に励んでいた。


※ジョージ・ポープ・ジュニア氏は、サンデーサイレンスの母ウィッシングウェル、母母マウンテンフラワー、母母母エーデルワイスを生産した。


 ポープ・ジュニア氏は種牡馬ヒラリーを活用し、モンパルナスとのニックスを発見しただけでなく、ヒルライズ(Hill Rise)、ヒルサーカス(Hill Circus)、ジェイオートビン(J. O. Tobin)といった名馬を生産した。また彼は、1962年にアルゼンチン人のオラシオ・ルーロ調教師が管理するディサイディッドリー(Decidedly)でケンタッキー・ダービーを優勝した。


 ポープ・ジュニア氏の生産理論は大成功をおさめた。しかし、彼が1979年に亡くなると、すべての所有馬が売りに出された。その中には彼が練りに練った繁殖牝馬たちが含まれていたが、ほとんどが勢いを失ってしまった。


 フォルリ、ロードアットウォー、キャンディライドのように広く認知されてはいないが、血統表の中で影響力を増しているモンパルナスは評価に値する。ジョージ・ポープ・ジュニア氏がカリフォルニアの牧場で創りあげたサラブレッドにおいて、ほとんど誰も覚えていない1頭のアルゼンチン産馬が、現代でもっとも活力があり、流行になっている父系に加わっている。モンパルナスはサンデーサイレンスやサンデーサイレンス産駒の歴史を語る上で欠かせない存在である。

 


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木下 昂也(Koya Kinoshita)

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