• 木下 昂也(Koya Kinoshita)

サンタ・イサベル:カマレーロの産まれ故郷、そしてチャンピオンたちの地

この記事は2022年4月22日にプエルトリコの『プリメーラ・オーラ(Primera Hora)』に掲載された"Santa Isabel: Cuna del mítico Camarero y gracias a él, Tierra de Campeones"を翻訳・一部改編したものになります。

 

写真:Primera Hora https://www.primerahora.com/deportes/hipismo/notas/santa-isabel-cuna-del-mitico-camarero-y-gracias-a-el-tierra-de-campeones/

 プエルトリコのサンタ・イサベル市は、「馬たちの地」や「チャンピオンたちの地」として知られている。これら2つの通り名はいずれも、偉大な名馬カマレーロ(Camarero)の功績に由来している。サンタ・イサベルで産まれたカマレーロは、1950年代に華々しい競走生活を送り、プエルトリコの競馬場の中だけでなく、サンタ・イサベル市民の心にも深く刻まれた存在である。


 カマレーロは1955年に同着なしの55連勝を達成した。これはハンガリーの牝馬キンチェム(Kincsem)が作った54連勝を抜き、今なおギネスブックに掲載されている世界記録である。連勝は56まで伸び、生涯成績は77戦73勝である。


 また、カマレーロは1954年にプエルトリコ競馬史上最初の3冠馬となっただけでなく、史上初めて無敗で3冠を制した馬となった。1954年と1955年にはプエルトリコの年度代表馬に選出された。


 こうした偉業により、カマレーロは単なる馬から4本脚の伝説となり、競馬史にその名を刻んだ。


 この濃い栗色の毛並みに覆われたサラブレッドは、1951年6月16日前後にルイス・レチャーニ・アグライト氏が所有するサンタ・イサベル牧場で誕生した。父はサーティーン(Thirteen)、母はカマレーラ(Camarera)である。


※血統表では母がフリントメイド(Flint Maid)と表記されているが、一般的にはカマレーラの名で呼ばれる。


 産まれた当初はサブロシート(Sabrosito)という名前がつけられた。ラーレス厩舎を運営していたホセ・コール・ビダル氏に売却されるとカマレーロと名付けられたが、誰もその名が歴史のページに刻まれ、後世にまで伝えられることになるとは思いもよらなかった。


 カマレーロの何がそんなに特別だったのだろうか?


「均整の取れた身体つきをした、素質のあるサラブレッドと見なされていました。父のサーティーンは背が高く、馬力とスピードのある馬でした。母のカマレーラは長距離向きの馬で、後方からのレースを得意としていました。カマレーロはスピードも体力も持ち合わせた馬でした。加えて、とても大人しい馬でした。時には鞭で叩かれたこともありましたが、鞭を入れられることは滅多になかったとも聞いています。デビュー戦は1953年4月14日の400m戦で、これを白星で飾りました」と、サンタ・イサベル市のスポーツ記者であるラウール・シントロン氏は述べた。


 シントロン記者はマテオ・マトス騎手とのインタビューについても語ってくれた。サントゥルセ出身のマトス騎手は、1940年からラーレス厩舎の馬に騎乗しており、カマレーロのほとんどのレースで手綱を握った。


「私はマテオ・マトス騎手と話す機会がありました。彼はカマレーロに愛着を抱いており、馬のほうも彼を気に入っているようでした。馬とのコミュニケーションを大事にして、ほとんど鞭を使うことはありませんでした。マトス騎手がカマレーロに合図を出すときは、『さぁ、今から行くぞ。ここだ』と追うだけでした。今日では滅多に見られない光景でしょう。馬のほうも『お前は俺に跨って、俺を押してくれればいい』とマトス騎手に言っているみたいでした。本当に唯一無二の馬でした。マトス騎手は『カマレーロは私の言うことを聞いてくれました。それだけです』と言っていました」


 マトス騎手はシントロン記者に対して、実はカマレーロに乗りたくなかったと明かした。彼には競馬熱の高まりによるプレッシャーがのしかかっていた。シントロン記者によると、すべての賭け金が投じられる馬に乗るという責任感は、彼に緊張の連続を強いたという。


「プレッシャーは相当なものだったでしょう。競馬場の全員が自分に賭けるというプレッシャー。もし連勝記録が止まれば、彼が連勝記録を止めたことになるというプレッシャー。新記録が近づくにつれて、プレッシャーは大きくなるのです。これは私の想像ですが、マトス騎手は『勝利まであと少し。神様、お願いだから落馬させないでください。カマレーロを躓かせないでください』と願っていたことでしょう。レースは常に厳しいものでした。スタート直後から他の馬に寄せられて瓶詰めみたいな状態にさせられるなんてしょっちゅうでした。そこから抜け出すには、かなり頭を使わなければならなかったでしょう」と、シントロン記者は語った。


 カマレーロの死は突然訪れた。1956年8月27日、5歳のときに腹膜炎で亡くなったのである。サンタ・イサベル市とプエルトリコ競馬界は、大きな情熱をかき立ててくれた名馬に別れを告げた。


「彼の死は歴史的な出来事でした。サンタ・イサベル市民はカマレーロが自分たちの土地に埋葬されてほしいと願いました。しかし、馬主の決断により、サン・フアン市のアト・レイ地区にあったキンターナ競馬場に埋葬されることになりました。そこで連勝記録を樹立したからです。サンタ・イサベルの市民はカマレーロを奪われました。彼らは抗議しました。当時、カマレーロがキンターナ競馬場に埋葬されるのはある種のビジネス要素が絡んでいるに違いないと人々は感じていたのです。しかし、馬の権利は馬主のものだったので、抗議が実ることはありませんでした」


 ここで強調すべきことがある。カマレーロは世界の競馬史上で唯一、1956年、1958年、1994年と3度も埋葬された馬である。


 1956年、カマレーロはキンターナ競馬場に埋葬された。しかし、キンターナ競馬場が閉鎖され、施設の取り壊しが決まると、1958年にカロリーナ市にあるエル・コマンダンテ競馬場に埋葬地が移された。


 さらに1994年、歴史家のフアン・コロン・デルガード氏の働きかけにより、カマレーロの遺骨はカノーバナス市にある彼の功績を称えてその名がつけられたカマレーロ競馬場に移された。コロン・デルガード氏は素晴らしい仕事をした。エル・コマンダンテ競馬場にあった埋葬地にはパルケ・エスコリアルという名の集合住宅が建てられ、コロン・デルガード氏の他にカマレーロの遺骨がどこにあるのかを覚えている者はいなかったのである。コロン・デルガード氏は自らの意志で調査に乗り出し、エンジニアのエクトル・サンティアゴ氏の協力を得て、遺骨を探し出すことができた。


「カマレーロは競馬界にとって野球のベーブ・ルース、バスケットのマイケル・ジョーダンと同じ存在です」と、カマレーロに関する本を書き、遺骨発掘作業を行なったコロン・デルガード氏は述べた。「カマレーロはとある新聞記者によって『カマレーロはムニョスよりも人気がある』と書かれたほどです。ムニョスというのは当時プエルトリコの知事を務めていたルイス・ムニョス・マリンのことです。カマレーロは毎日のように新聞に現れました。その人気は絶大でした。ボクシングの3階級王者ティト・トリニダードが絶頂期に毎週試合をしていたような感じです。実際、プエルトリコで最初にテレビで放映されたスポーツイベントは、カマレーロのレースでした」


 カマレーロは彼が産まれたサンタ・イサベルの地には眠っていない。しかし、サンタ・イサベル市は2000年にカマレーロを称える銅像を建てた。


「サンタ・イサベル市議会はカマレーロの歴史の一部を担うことを決めました。プエルトリコ高速道路1号線から町に入る場所に、この町で産まれた名馬に敬意を表する場所を設けたのです。像は銅で作られました。銅像の制作にあたり、当時まだ存命だったマテオ・マトス騎手が呼ばれました。彫刻家は彼に会い、容姿や着ていた勝負服のイメージをつかみ、彼の像も銅像に乗せました。マトス騎手は銅像を見て泣きました。なぜ泣いているのか尋ねられると、彼はこう言いました。『私はあの馬のことを自分の命と思い、愛していました。あの馬に再び跨っているような気持ちにさせてくれたのです』」と、シントロン記者は振り返った。マトス騎手は2013年に亡くなったが、銅像の落成式に出席することができた。


 シントロン記者は最後にこう締めくくった。「我々サンタ・イサベルの市民は1頭の馬に出会いました。その馬は我々にインスピレーションを与えてくれました。サンタ・イサベルのドブレA(プエルトリコの野球リーグ)のチーム名はロス・ポトロス(Los Potros ※スペイン語で馬を意味する)と言います。これはカマレーロに由来する名前です。バレーボールのスーパーリーグのチームもロス・ポトロスです。カマレーロはサンタ・イサベルで産まれ、我々はカマレーロに敬意を表します。サンタ・イサベルの『チャンピオンたちの町』というあだ名は、カマレーロの栄光に由来するのです」


Cesiach López Maldonado





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