top of page

名手エドガー・プラード騎手が母国メディアに引退の心境と後悔を語る

 現役引退を発表したペルー人の名手エドガー・プラード騎手が、母国ペルーの競馬雑誌『エル・クラック(El Crack)』のインタビューに答えた。今回はその内容の翻訳・一部改編したものになる。

 

 ペルーが世界の競馬界に送り出したもっとも偉大で著名な騎手であるエドガー・プラードは、先週に現役引退を発表して世界中を驚かせた。6月12日で56歳を迎え、40年以上も馬の背中に跨り続けた『名手(El Maesstro)』であり『伝説(La leyenda)』が、インタビューで自らのキャリアと人生観を語った。これは貧困に苦しんでいた1人の少年が、夢を叶えてトップに上り詰めるまでの物語である。



- 現役引退はみんなを驚かせた。いったい何があったのか?


数日前に56歳になった。自宅で家族と集まったときふと、もっと家族との時間を過ごすべきだと感じた。息子たちや孫たち、そして妻と一緒に居たい。趣味である旅行をしたい。


もう1つの理由としては、ビジネスにおける立場が変わったことが挙げられる。30年前は私が誰かのポジションを奪ったが、今は自分がポジションを奪われる立場にいる。


非常に難しい決断だったが、決断しなければならないときだった。すでに息子たちは私が騎乗するのを望んでいなかった。私の年齢で落馬すれば……スペアの部品はもうないからね(笑)。


- 現役引退は誕生日のまさにその日に決めたのか、それとも以前から頭によぎっていたのか?


以前から考えていた。だが、ここらが潮時かなと思っていたときに、孫たちから「おじいちゃん、おじいちゃん。おじいちゃんはいつ騎乗するの?」と訊かれた。それで、再びレースに乗ることにした。しかし、乗りたいとは思っていても、乗る馬がいなければレースに参加するのは難しい。



- 先ほどビジネスの立場が変わったと言ったが、どのように変わったのだろうか?


始まりは2018年、サウジアラビアでの騎乗依頼をもらったときだった。とても魅力的なオファーだったが、長い目で見れば最適な選択ではなかったと今では思っている。サウジアラビアで騎乗し、良い時間を過ごした。だが、アメリカに戻ったとき、以前持っていた契約や騎乗馬がすでに他の騎手に移っていたんだ。


- 不在の期間を我慢してくれなかったというわけだ。


しかし、ビジネスとはそういうものだ。その場にいなかったり、何かをないがしろにすれば、失うのは当たり前である。そして、再びゼロから始めることは難しい。


私はマイアミに行く決心をしたが、私のエージェントはメリーランドに留まることを選んだ。フロリダで新しいエージェントを見つけたが、以前と同じようにはいかなかった。エージェントを替えて再び騎乗を始めたところで、今度は新型コロナウイルスのパンデミックが襲った。私は自分自身と家族の健康を考えて騎乗しないという決断をした。


- 競馬から離れている時間は長かった?


3ヶ月くらい。自宅でトレーニングと体重管理はしていたが、いざ朝の調教に行ってみると以前と同じ状態ではなかった。競馬に戻ったとき、そうしたトレーニング不足のために、騙し騙し騎乗するようになってしまった。いくつかのレースを取りこぼし、調教師や馬主もその取りこぼしを許してくれなかった。


そんなとき、もう少し騎乗を続けたいと思いつつも、家族との将来のことも考えるようになった。孫たちがクロアチアで生まれ、兄がペルーで亡くなり、母の法要のミサにも参加した。どれも重要な旅だった。


- 引退には満足しているか?


本音を言えば、満足していない。


- 何が足りなかったのか?


プリークネスSを勝てなかったこと。これは常に口の中に苦味として残っている。騎手としてのアメリカ3冠を達成できなかった。また、ペルーのダービーを勝てなかったことも、ペルー国旗を背負って国際的なビッグレースを勝てなかったことも後悔している。この3つが、挑戦したものの成し遂げられなかったことである。



- だが、本当に満足していないのか?ある人は「エクリプス賞を獲得できなかった」「競馬の殿堂入りを果たせなかった」「ケンタッキー・ダービーを勝てなかった」と嘆くが、あなたはいずれも手に入れた。そして、あなたは貧困から抜け出した。感動的なことである。


たしかに素晴らしいことである。しかし、もうすべて達成したと思ってしまっては、新たな明日に挑戦するモチベーションを保つことができない。満足して、栄光の中で眠りにつく。これは多くの騎手に起こる現象だ。また、多くの人々に起こる現象でもある。


- これまで自分の中の目標を絶えず更新してそれに挑んできた?


どこのメディアでも話していないことを打ち明けよう。ペルーのモンテリーコ競馬場で騎手としてのキャリアを始めたとき、私はトップジョッキーになるという目標を掲げた。そうなるためにとても努力した。


1984年の第1回ブリーダーズ・カップのビデオを見たとき、アメリカへ行く決心をした。できるかぎり貯金をした。最初のビザ申請は却下されたが、2回目でようやく申請が通ってアメリカに移住した。


アメリカでもトップジョッキーになるという目標を掲げ、週に7日働いた。1年だけでなく、そんな生活を3年間も続けた。私は常に1つの目標を描き、それを実現するために戦ってきた。


- そうした挑戦に立ち向かうためにモチベーションとなるものは他にもあったのか?


私のことを信頼してくれる人々、私のことをサポートしてくれる人々、私の仕事に携わるチームを決して裏切らないという思いがモチベーションだった。私が受け取ったもっとも大事な報酬は、厩務員、調教助手、私と一緒に仕事をしている人々が勝利に感謝してくれることである。1万5000ドルの条件戦だろうと100万ドルのGⅠ競走だろうと、全員の仕事の締めくくりとして勝利をおさめ、彼らが笑っているのを見るのが何よりも私にとって大事なことだった。



- 最後の騎乗は1月6日だった。それから5ヶ月後に現役引退を発表した。引退試合のような形で1レースでも騎乗する可能性はあるのか?


引退を発表してから騎乗依頼をされた。私が戦ってきた競馬場を1つ1つ回ってお別れを告げるというプランもある。今は考え中だ。もしやるのであれば、ガルフストリームパーク、メリーランド、サラトガ、サンタアニタを回りたいと思っている。


- 最後にスタンドから拍手をもらい、素敵な思い出を刻むというのはどうだろうか?


それは素晴らしいことだし、その可能性は否定しない。さっきも言ったが、考え中だ。


しかし、エキシビジョン騎乗としてスタンドの前をギャロップで駆けるくらいがちょうど良いと思っている。賭けのある公式のレースに騎乗するのは事故につながる可能性があるし、キャリアの幕切れとして相応しいものでもないだろう。


- モンテリーコではどうだろう?モンテリーコ競馬場でもお別れ会をしたいか?


もちろん。実は、ペルーでジョッキー・チャンピオンシップを開催する可能性についてメールをもらった。だが、さっきも言ったように、現時点ではオフィシャルなレースではなくて、エキシビジョン騎乗をしたいと考えている。


- 最後に、騎手人生において最高の思い出と最悪の思い出を教えてほしい。


もっとも美しい瞬間はケンタッキー・ダービーを勝ったことと、競馬の殿堂入りを果たしたこと。そして、ペルーのスポーツ栄誉賞を受賞したこと。もっとも悲しかったのは、どこへ行くにも私の原動力となっていた母が、そうした素晴らしい瞬間を私のそばで分かち合えなかったことである。





Koya Kinoshita

スペイン語通訳

スペイン競馬と中南米競馬を隅々まで紹介&徹底解説する『南米競馬情報局』の運営者です。

全国通訳案内士というスペイン語の国家資格を所持しています。

東京在住のインドア派。モスバーガーとミスタードーナツが好きです。

  • X
  • Instagram
  • スレッド
  • note
  • Amazon
  • Ko-fi

CATEGORY

bottom of page